人生の相対性理論(19)


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人生、死んだ後が勝負?

 中村方子さんはその後、国際的にも評価される仕事ができるようになりましたが、それは彼女が生まれた時代との相対性において、後半生は幸運だったからといえるでしょう。
 生きているうちには評価されないまま死んでいく人たちはたくさんいます。
 ゴッホと宮沢賢治は亡くなったのが同じ37歳という若さで、生前、自分の作品で金を得たのが一作だけだったらしいという共通点を持っています。
 人生が生まれてから死ぬまでの時間線分「だけ」であるなら、彼らの人生は失敗だったのかもしれません。
 生まれる前の時間(歴史)も今の自分を形成しているのだから、人生の時間線分は生まれる前まで含めて考えるべきだという話はしましたが、同じように死んだ後の時間も考えるべきでしょう。自分が生きたことによって、死んだ後の時間にもなんらかの影響があるからです。
 つまり、「生まれてから死ぬまでの時間だけが人生ではない」と考えてみるのです。
 私は今、とりあえず70歳まで自由に動ければ幸運だと思って、その時間で何が残せるかを最重要課題として生きています。
 残念ですが、私が生きているうちに私の仕事が社会的に評価されることはないでしょう。仕事の質がどうのこうのではなく、今の時代との相対性において、私の仕事が多くの人に知られて評価される可能性は極めて低いからです。
 だから残りの人生何もしなくてもいい、ただ安穏と日々を過ごせばいいとは思いません。
 そこで自分を鼓舞するために作った標語があります。

「人生、死んだ後が勝負」

 自分の仕事が評価され、多くの人たちの心に残ることを、私自身は見届けることなく死んでしまうでしょう。死んでしまえば、その後のことを知ることはできません。
 宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』や『セロ弾きのゴーシュ』などの作品群が出版されることを見届けずに死にましたし、ゴッホは『ひまわり』が自分の死後日本の企業に数十億円で買われる運命にあることなど想像できなかったでしょう。
 彼らが死ぬときにどんな思いだったのかは分かりません。無念の極みだったかもしれません。しかし、これで全部おしまい、人生にはなんの意味もなかったと思って死ぬよりは、死んだ後に可能性を残していると思いながら死ねたら、はるかに「楽しい」ことです。
 これは「死後、神の国に入るために現世で善行を積む」といった考えとはまったく違います。
 現世はつまらない、くだらない、理不尽なことだらけだから、来世で真の幸福を得ようというのではないのです。
 死後、天国に行くために現世で努力するというのは、現世の価値を否定している、この世界に生を受けた奇跡を軽んじている生き方だと思うのです。
 現世は欠点だらけで自分の理想とはかけ離れた世界だと分かっても、なお、この世界を唾棄しない。この世界を愛しているからこそ、自分が生きている時間には見届けられないことを、自分が死んだ後の時間に託したい。自分はその結果を見ることができなくてもよい、という「覚悟」です。


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