人生の相対性理論(20)


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「一人に向かって」という生き方

 しかし、「人生死んだ後が勝負」という生き方は、ほとんどの人には受け入れられないでしょう。やはり、死んでしまったらおしまいではないか、と。
 また、自分の能力が自分にしか分からないというのでは、「社会的動物」である人間としての意味がなくなってしまいます。
 そこで、もう少し実現できそうな生き方として「ひとりに向かって」というスローガンを掲げます。
 これは私の恩師・井津佳士(いづよしひと)先生(中学・高校時代の国語教師)が私に送ってくださった言葉です。

 レコードデビューに失敗し、この社会のありかたに失望し、未来に対して何も期待できなくなって鬱になりかけていた30代前半、私はふと井津先生のことを思い出しました。
 人類が初めて月に立った(とされている)1969年7月、そのニュースに世界中がわいている中、井津先生は国語の授業の冒頭でこう言いました。
「どうなんだろうね、あれ。これから先、俺たちはずっとお月様を、あそこにゴミが残されていると思って見上げなければならないんだよな」
 この発言にほとんどの生徒はポカンとしていましたが、私の中には強烈な記憶として残りました。
 そういう発想があったのか。ものの見方というのは複層的であり、視点を変えればいろいろな答えが出てくるのだと学んだのです。
 人間にとって、月は科学技術で「征服」する対象なのか? 長い人類の歴史の中で、月はもっと豊かで複雑な価値を持っていたものではないのか?
 井津先生は私に「人生の相対性理論」の入り口を見せてくれた教師かもしれません。
 その先生に、30代になった私がいきなり長文の手紙を書いたのです。
 先生は負けずに長い返事をくださいました。その手紙の最後に、こんな一節がありました。
私は音楽の世界のことはほとんど知りませんので、何も言えませんが、素人なりにきみの音楽に東洋的な静謐さを感じました。(略)きみの「四畳半の音楽活動」は、すばらしい意味を持つように思われます。専制政治家のように大衆にはたらきかけることを、私はあまり評価していません。それはおそらく空しいことであり、時に害悪でさえありましょう。
私は「一人に向かって」をモットーに生きていくことにしています。その方が結局は普遍性を獲得すると思います。こうして、きみ個人に向かって長い手紙を書いているのもそうだし、学年全体の生徒に話すときでも「一人に向かって」話すつもりで話すようにしています。「九十九匹の羊を置いて一匹の羊を探せ」というキリストの逆説をこのように応用しているわけです。
経済的な価値観では数の多いことを価値あることとしますが、数が少ないほど価値のある世界というものがあることを私は信じています。成績不振の少数の生徒、クラスでいじめられがちな一人の生徒、精神分裂症の一人の教え子、文学好きな一人の少年、特別養護老人ホームの一人の老人、障害者同士結婚した一組の若い夫婦、といった人々に向かってじかに話しかけます。
このじかのつき合いほど重たいものはありませんが、嘘のはいり込むことの少ない世界ですから、私には向いているように思います。
先日も、生徒たちと一緒に作った手づくりの紙芝居をもって特別養護老人ホームへ行ってきました。心身障害者が多く、彼らの半数ほどはほとんど人間的な反応を示しません。
拍手喝采を受けないのですから、ある生徒は、やりがいのなさを感じたかもしれません。しかし、大切なことは喝采の物理的な音量ではないのです。数字の多さ以外の何かが尊いのです。その何かをじかに感じればよいのです。それを言葉で規定する必要はありません。
きみの音楽活動が私のこんな考え方に幾分でも接点を持ちうるものでしたら、陰ながら声援を送りたいと思います。この考え方は、きみが有名になることを妨げるものでは決してありません。少数の人に向かって語りかけた結果が、多くの人に認められることになったというのでしたら、そんなめでたいことはありません。

 この手紙には1991年8月の日付があります。
 井津先生はその後、60歳の若さでスキルス性の癌で亡くなりました。
 亡くなる直前の1994年2月には「現在は、まともな作家にとってほんとうに情けない冬の時代です。紆余曲折を余儀なくされるでしょうが、初心(五木寛之さんは「志」といいましたね)を忘れずにがんばってください」というメッセージの入った短い手紙を送ってくださいました。


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