人生の相対性理論(5)


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歳と共に死は怖くなくなる

 人生の時間線分は誕生と死によって切り分けられますが、今から死までの時間線分がどれだけの長さなのかは分かりません。
 若いときは死が確実に訪れるということが怖くて仕方ありませんでした。
 昼間、動き回っているときは死について考える暇もないのでいいのですが、夜、寝るときに「いつか必ず死ぬ」と考え始めると心臓がバクバクして、恐怖のどん底に突き落とされ、蒲団の中で叫びたい衝動に駆られることが何度もありました。

 20代のとき、テレビ誌の仕事で、老俳優4人に料亭でインタビューする機会がありました。
 その4人とは、浜村純さん、花沢徳衛さん、中村伸郎さん、殿山泰司さんです。
左から、中村伸郎さん、浜村純さん、花沢徳衛さん、殿山泰司さん

 4人の中でいちばん若かったのは殿山さんで、1915(大正4)年生まれ。他の3人はみな明治生まれでした。
 当時、テレビ誌のインタビューの仕事はたくさんしていましたが、その4人とお話しした経験は今でも財産になっています。
 確か「老い」をテーマにしたドラマの番宣絡みで、前後のつながりはよく覚えていませんが、「みなさんは老いと死というものを実生活ではどうとらえていますか」「死ぬことへの恐怖はありませんか?」と訊いてみました。
 若造の口から飛び出した失礼な質問に、みなさん怒ることもなく、しかし異口同音に、急に強い口調になってこうおっしゃいました。
「ないよ、そんなの」
「ないない」
「ぜんぜんない」
「死が怖いというのは、あなたがまだ若い証拠ですよ」
 若いときは銀座でならした(表現が古い?)という殿山さんは、私の目をじろっと覗き込んで、こうおっしゃいました。
「歳取ると、だんだん女とやりたくなくなるんだよ。あんたは信じられないかもしれないが、ほんとだよ。それでさ、死ぬことも、どうでもよくなってくるんだ」
 浜村さんは、「子供を作らなかったからこそできたことは、子供がいなければできなかったことよりはるかに多い」という意味の言葉を残してくださいました。結婚する前から、子供を作らないと決めていた私にとって、それはとても力強いメッセージでした。
 花沢さんは意気軒昂に、戦時中、特高にひどい目に合ったことや、それでも信念を曲げなかったことなどを語ってくださいました。
 いちばん強く印象に残っているのは中村さんで、インタビューが終わって店を出る際、突然、私の手を両手で握って「お元気で!」とおっしゃったのです。あまりに唐突で、しかも素直な行動だったので、驚きました。
 その行動を、若かった私はとても奇異に感じ、それ故に記憶に残っているわけですが、自分も高齢者となった今は、あのときの中村さんの気持ちがよく分かりますし、分かるがゆえに、とても嬉しく思い返せます。

 ほんの小一時間のインタビューでしたが、そこにいるだけで、4人の名優の生き様が直に伝わってくるような、濃密な時間でした。

 4人はそれから間もなくこの世を去っています。


 殿山さんが、私が訊いてもいないのに「歳取ると、女とやりたくなくなる」とおっしゃったことも、今は実際に分かります。
 確かに性欲は極端に落ち、死ぬこともあまり怖くなくなりました。
 夜寝るときは、軽く息を吐き、あ~、このまま目が醒めないというのが最高の死に方だよなあ……などと思いながら、ス~ッと眠りに落ちます。
 人生の大先輩たちの姿が、数十年の時を経て、今の私にはとてもよく効く睡眠導入剤になっているのかもしれません。
 もっとも、老人の悲しさで、深い眠りは1時間くらいしか続かず、すぐにトイレに目が醒めてしまうのですが……。



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