事務局・いつき:
森水学園本校校舎がまだあった当時、校舎には杜 用治(もり・ようじ)さんという用務員さんが常駐していました。
用治さんがどういう経緯で森水学園本校校舎に住み込むようになったのか、今となっては事情をよく知っている者がおりません。学園長の森水生士は、「特に雇ったということはないんだがなあ……」と、のんびりしたことを言っていたようです。
森水学園は私塾ですから、普段、生徒が通ってきているわけではありません。何か催し物や特別講義などがあったときに人が集まってきますが、用治さんが普段から校舎の手入れをしてくれているので助かっていました。
用治さんが本校校舎(村の廃校を森水が借りた)に棲みついたのは1969年あたりだったと聞いています。その頃はまだ50歳前後でした。
学園長の森水とは気が合うらしく、よく茶飲み話をしていましたが、1978年に森水が死んでからもずっと本校の一室に住み着いていました。
本校は2008年に解体され、なくなってしまいましたが、その話が出た2007年頃、用治さんは誰にも何も告げずに姿を消しました。
すでに80代の高齢になっていた用治さんのことを、村の行政や周囲の住民は心配していました。用治さんもそれを感じていたでしょう。そんなとき、廃校校舎が解体されると知って、ここが潮時か……と、ひっそりと出て行ったのだと思います。
「まるで、死期を悟った猫がある日ふっと消えるような感じだった」といいます。
その後の行方を知る人はいません。
用治さんは社交的とはいえないまでも、偏屈というわけでもなく、村の人たちや学園関係者とはよく話もしていました。
しかし、自分の出自や経歴についてはほとんど何も話さなかったそうです。
用治さんが姿を消してから、「用務員室」(用治さんが寝泊まりしていた部屋)の押入から、何冊ものノートが発見されました。
内容は非常に不思議なものなので、簡単には説明できません。日記のようでもあり、小説のようでもあり、哲学書のようでもあります。
親族の有無も不明なので、そのノートは学園事務局が引き取りました。
用治さんはもう生きているとは思えません。本人の気持ちはよく分かりませんが、ここに少しずつ紹介していこうと思います。