人生の相対性理論(33)


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生と死の相対性

 多くの宗教的な霊肉二元論では、霊魂と肉体の他に、両者を組み合わせる意志としての「神」の存在が説かれます。
 そこから、現世で悪いことをすると来世では地獄に落ちるとか、神を信じて神の教えを守れば永遠の命が得られるといった教義も生まれてきます。
 しかし、今展開した「心を持ったコンピュータ」のイメージモデルでは、敢えてオペレーターを「神」とはしませんでした。人間をただの計算機にたとえることはしたくなかったからです。
 オペレーターを「神」という絶対的存在にしてしまうと、私たち人間の存在は神の道具になってしまいます。そんな世界観を持って生きるのは、私はごめんです。
 一般的に「神」は、人間の手が届かない別次元にいる絶対的存在とされていますが、「心を持ったコンピュータ」のイメージモデルでは、霊魂はコンピュータの数だけあります。
 高性能なコンピュータは高度な作品を作れる可能性を秘めていますが、オペレーターに才能がなければ、どんなに高性能なコンピュータ(肉体)を駆使してもつまらない作品しかできません。
 逆に、オペレーターに才能があれば、8ビットマシンでも十分に面白いゲームがプログラムできます。
 また、「心」がコンピュータ(肉体)とオペレーター(霊魂)の合作である以上、霊魂と肉体に優劣関係はない、とも解釈できます。ですから、必要以上に肉体を卑下することもありません。
 さらには、「心」はコンピュータ(肉体)とオペレーター(霊魂)の共同作業で生じる「現象」である、というところに注意してください。現象というより「バーチャルな世界」と敢えて言い切ってもいいかもしれません。
 最近、「私たちが生活しているこの世界は、すべて何者かによってシミュレートされた仮想現実(バーチャル・リアリティ)の世界かもしれない」という仮説が、哲学のみならず理論物理学の世界でも真面目に議論されています。
 自分が今見ている、感じている、生きていると信じているこの「世界」は錯覚なのではないか、という想像は、今に始まったわけではなく、コンピュータが存在していない大昔からありましたから、人間にとっては普遍的なテーマの一つなのでしょう。
 この世界が「現実(リアル)」なのか「仮想(バーチャル)」なのかは、ある意味どうでもいいことかもしれません。
 ものごとは単独では意味をなさず、他者との関係性において意味が生じる ……という「相対性理論」を突き詰めていくと、「世界」もまた何かと相対して初めて意味をなし、存在するのではないかと思えてきます。
 となると、今こうしてああだこうだと考えを巡らせている自分は、どこに位置しているのか、何と相対して命を燃やしているのか……。それこそが最後に待ち構えている永遠の謎といえるでしょうか。

 この問いは、仏教で説く「色即是空、空即是色」に通じるかもしれません。
 色即是空の「色」とは目に見えるもの(物質)、「空(くう)」とは目に見えないもののことです。
「空」は目に見えませんが、「無」ということではなく、目に見えるもの(物質)を形作っている本質、根源的なエネルギーというような意味です。
 脳を含む肉体は「色」(物質)です。
 物質ですから必ず消滅しますし、常に変化し続けています。
 私たちの人生が肉体「だけ」で完結しているのであれば、死と共にすべては無意味に帰することになるでしょう。
 しかし、色即是空 ──色(物体)は同時に空(目には見えない世界の根源的本質)である、つまり、肉体は肉体を形作った「根源的な何か(空)」と相対関係を持って生じたと考えれば、個々の肉体には「個性」という「意味」がありますし、肉体が消えても、本質である「空」は消えるわけではありません。

 そこまでイメージしていくと、漠然とですが、絶対的なものだと考えていた「死」もまた、相対的なものなのではないかと思えてきませんか。
 死が支配するのは単に肉体という物質(色)だけで、その物質(肉体)を物質たらしめた本質的な何か(空)が消滅するわけではない肉体を失うことで、その本質(空)と新たな相対性が生まれるのかもしれない……と。

 さて、ここでもうひとつ想像してみます。  個々の生命活動を生みだしている「個々の空(霊魂)」があるとして、それらが活動する世界を作っている大元の「空」があるのではないか……。
 だとすれば、私たちの人生とは、個々の「空」が「色」である肉体と結びついて作りだす実体のない現象であると同時に、そのバーチャルな世界を作りだす必然(大元の空との相対関係)をも、また持っているのでしょう。

 人生とはそうした「相対性バーチャルリアリティ」なのかもしれません。

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