人生の相対性理論(30)


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心=脳なのか?

 さて、前置きが長くなりましたが、いよいよ「死」の絶対性を疑う、という大胆な挑戦に話を進めたいと思います。

 人は死んだ後どうなるのか、というのは、人間にとって永遠の謎であり、共通のテーマでしょう。
 ほとんどの宗教が「死後の世界」を説いています。
 肉体が滅びるのは誰の目にも明らかなことですから、問題は肉体が滅んだ後にも今の自分とつながる「何か」が残るのかどうかです。
 唯物論や科学至上主義の人たちは、一般に私たちが「心」とか「精神」と呼んでいるものもすべて脳の働きにすぎず、人間は脳を含めた肉体のみでできていると主張します。死ねば全部終わりで何も残らない、と。
 一方、多くの宗教は、肉体(脳)とは別に、物質的な観念では把握できない「魂」のようなものが存在し、それがなければ肉体に生命は宿らないという霊肉二元論的な考え方に根ざしています。
 私は基本的には無宗教ですが、「心」はすべて脳の活動で説明できるというのは少し単純すぎると感じています。
 もちろん、絵がうまいとか、論理的である、合理性を重視する、冷静である、物怖じしない……といった「能力」や「個性」は、ほとんど脳の働きに支配される要素だと思っています。
 私が人から器用貧乏といわれることや、記憶力に問題があることなども、そうした個性の脳を持って生まれてきたからでしょう。
 言い換えれば、脳科学で説明できそうなことは、そのように理解すべきだという立場です。
 脳腫瘍やアルツハイマーなどの病気で性格ががらりと変わってしまうことなどは、脳に原因があるはずで、悪霊が憑いたのだとか、前世での行いがどうのとか、先祖の祟りだのという話を持ち出すことには反対です。
 努力や訓練によって様々な技術が上がることも、脳を含めた肉体を変化させていくことで達成しています。

一卵性双生児の謎

 しかし、生物学的な説明だけではどうにも理解しきれないこともあります。
 例えば、一卵性双生児は同じ遺伝子情報を持っているので、生まれたときは同じ脳を持っていそうなものですが、生まれた直後、何の教育も受けていないときから著しく異なった個性を発揮することが珍しくありません。「心」がすべて脳の働きであるなら、説明しがたいことではないでしょうか。
 私は以前からこの「一卵性双生児の個性の違い」という問題にとても興味があり、マラソンの宗茂・猛兄弟やノルディックスキー複合の荻原健司・次晴兄弟、漫才のポップコーン正一・正二兄弟などに注目してきました。
 茂氏は左利きでストライド走法。「マラソンはただ練習を増やせばいいというわけじゃない。重要なのは調整だ」という考え方で、感性で突っ走るタイプ。
 それに対して猛氏は右利きでピッチ走法。ひたすら練習する努力家タイプ。茂氏が一線を退いた後も、16年間、十数回も大きな大会に出場して 43歳まで現役を続けました。
 ちなみに、宗兄弟は茂が兄で猛が弟となっていますが、生まれてきた順番は逆だそうです。昔、特に田舎では「後から生まれてきたほうが腹の中では上にいたわけだから兄(姉)」という考え方があったからだとか。

 宗兄弟に比べるとスキー複合の荻原兄弟は、兄の健司氏と弟の次晴氏の成績は大きく差がついています。
 健司氏はワールドカップの優勝 19回で、1992年の年間総合優勝(日本人初)から3年連続3連覇(世界初)。
 一方の次晴氏は国内大会も含めて優勝はゼロ。
 次晴氏は学生時代は音楽をやりたくて、早稲田大学在学中はスキー部に所属したものの、「部屋にはターンテーブルが4台に、プロ仕様のミキサーも装備。夜はレコードショップやクラブをはしごして、朝帰りする毎日」だったといいます(講演依頼・com)。

 一卵性双生児として生まれ、同じ環境に育ってもこのようにまったく違う個性を持っているという例はいくらでもあります。
 そもそも、DNA情報が一致していても、肉体的に完全一致しているわけではありません。これは産婦人科医ならみんな知っていることですが、一卵性双生児であっても、生まれた直後から肉体の個体差が歴然としている例は珍しくなく、一卵性か二卵性かを見分けるにはDNA鑑定するしかないのです。

 面白いことに、仮に肉体が完全一致していても人格は別だと主張する人はたくさんいますが、そういう人に、「では、精神というものが肉体とは別に存在するのか」と問うと、「そうは思わない」という人が少なくありません。
 つまり、「人間が精神とか心と呼んでいるものは肉体(脳)から生じていて、存在するのは肉体だけである。しかし、仮に肉体の完全一致があったとしても、精神は同一ではない」 ……という、一見、矛盾したような意見を持っている人たちが多数存在するのです。

30年前にすでに「フクシマ」を予言していたといわれる問題作『マリアの父親』(第4回「小説すばる新人賞」受賞作)をベースに、最終舞台を幌延から福島に移し、登場人物等も一部入れ替えるなどの改作を施した「新版」。Amazonで購入で1210円

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