人生の相対性理論(24)


←前へ   目次目次   次へ⇒
HomeHome  

『愛するということ』の限界

 それでも「自己主義」「自己の幸福を基準点にする」といったことに対して抵抗感を覚えるかたは多いと思います。それはやはり、「愛」が欠けている思想ではないか、と。
 多くの宗教は、形はいろいろであるにせよ「愛すること」の大切さを説きます。
 小説や映画などでも、ラブストーリーというのは一種の安全牌というか、批判や否定を受け付けないようなところがあります。
 私はこれを「愛の絶対化」と呼び、疑問を抱いています。

 大学時代、倫理学や人間学といった授業でよく勧められた本に、エーリッヒ・フロムの『愛するということ(The Art of Loving)』がありました。
 中学、高校と6年間男子校にいて、女性への免疫ができていないまま女子大生の比率が多い上智大学に入った私は、毎日、キャンパスで目にする女子学生たちに一目惚れし、次から次へと勝手に恋をしていました。同時に3人、4人くらいの女性に恋をして、並行して追いかけている状態も普通になっていて、自分でもこれはまずいのではないかと思い始めていたときにこの本を読みました。
『The Art of Loving』のアートとは「芸術」ではなく「技術」という意味です。
 著者のフロムは「愛することは情感ではなく決断であり、技術である」と説いています。
 この本をテキストにしていた倫理学の教授(スペイン人神父)は、こう説明していました。
 I love you because I need you.(あなたが必要だからあなたを愛す)は皮相的な愛であり、 I need you because I love you.(あなたを愛しているからあなたが必要だ)という愛こそが本当の愛だ、と。
 そして、「愛する」ということは情感(一目惚れ)ではなく、相手の長所も欠点もすべてを受け入れた上で、「この人を愛すると決断する」ことである。だから、ある人を愛するということは、その相手を愛すると「決断」した後に、もっと魅力的な人が出てきても、その人は愛さない(選ばない)と決断することでもある……と。
 毎日いろいろな女性に目移りしていた私は、これこそ今の自分に必要な「技術」であると思い、それからは、出会う女性にすぐ「結婚しよう」と言って気味悪がられていました。

「愛は情感ではなく決断である」という悟り ──「愛する技術」は、結婚した後も続いていましたが、後にこの「技術」には限界があると気づくことになります。
 ちょっと考えれば分かることですが、これは愛というものを相対化せず、絶対化することにほかなりません。
 金曜日はカレーと決めておけば迷わなくて済む、という話に通じます。
 愛を絶対化すると、それが幻想であった、思い違いであったと知ったときに、反動で鬱病になったり、相手を逆恨みして刺してしまったりすることにもなりかねません。
 絶対化できる愛などない。人はみなひとりであり、誰かと一緒に人生を送ると決断するにしても、うまくいかない確率のほうが高いよね、という程度に緩く考えていないと、それこそ結婚が人生の墓場になるかもしれません。
 愛なんて所詮はそんなものだ、と腹をくくることこそが本当の「愛する技術 (The Art of Loving)」なのだと、今では思っています。


ポチの耳・私の髪 単行本(ソフトカバー) Amazonで購入で968円

←前へ   目次目次     次へ⇒
HomeHome
Facebook   Twitter   LINE