人生の相対性理論(15)


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相対化不可能な社会という恐怖

 原発被災地域の住民は大変な問題を抱え込み、難しい決断を迫られましたが、少なくとも自分の意志で自分の生き方を選べました。
 小さなコミュニティがさらに小さく弱くなっても、与えられた復興住宅に継続して今までのコミュニティを築こうとした人たち。彼らにしても、そのコミュニティを「絶対化」したとまではいえません。
 新天地に出ていけば新しい地域社会との関係を構築しなければならない。一方、コミュニティが小さくなってもそこに残れば今までの隣人たちと一緒にいられ、人間関係を再構築しなくてもいい。どちらを選ぶかは自由であり、どちらかを選んだという点で「選択」はできているからです。

 これに対して、自分からは自分が生きる社会をまったく選択できないとなると、個と社会の相対化は不可能になります。
 戦前戦中の日本はまさにそうでした。

 ぼくの父親は1943年から中国に出征しています。法的プロセスによらない中国人の処刑などに、おそらく父親も直接、間接に関係したはずです。それを我々の先祖の時代の愚挙として片づけることはできないんですよ。
 記憶に新しい父親があそこにいた。そこに仮説として自分を立たせてみて、『じゃあ、自分だったら避けられたか』と問うてみるんです。
 あれだけ組織的な、誰もが疑わずにいた天皇制ファシズムと軍国主義のなかで、ぼく一人だけが『やめろ!』と言うことができたか。それは一日考えても二日考えても、到底無理だと言わざるを得ません。そういう局面に自分を追い詰めていく苦痛から再出発する以外にないと思うんです。

 これは作家の辺見庸氏の言葉です(朝日新聞2016年1月21日「時流に抗う 作家・辺見庸さん」)。
 「天皇陛下万歳!」と叫んで自爆攻撃をして死んでいった若者たちは、決して愚かだったり、思考することを怠っていたわけではありません。多くは知的で教養のある若者たちでした。そうした知性が、いとも簡単に「絶対的なるもの」に取り込まれ、自分で自分の命を捨てるという行為に至らされたのです。
「天皇陛下万歳」「一億総火の玉だ」は、当時、ほとんどの日本国民にとっては「変更が効かないルール」でした。
 徴兵制も開戦も個人が決めたものではありません。しかし、戦争一色だった時代の空気は、当時この国で暮らしていた一人一人が作り出したものです。
「それはおかしいんじゃないか」「そんなのは嫌だ」と思っても、戦争一色になっている空気に異を唱えることは到底無理だし、そんなことは面倒くさいと考える。結果、空気を受け入れてそのルールに従うことにする。
 その時点で、「天皇陛下万歳」「一億総火の玉だ」をひとりひとりが「マイルール」にしたということではないでしょうか。

 すでにお話ししましたように、絶対を認めることと、無関心・無関与は、根が同じです。
 今、世界中で起きている自爆テロにしても、爆弾を抱えて無差別殺人をしている人たちはそれぞれ「マイルール」を持っています。彼らはそのマイルールを相対的に見ることができていません。
 彼らの行為を「信じられないよね」「ありえないよね」と言って片づけようとする人は、その「信じられない」「ありえない」と思う自分の価値観もまた絶対的なものではなく、相対的なものだということに思い及んでいないのではないでしょうか。
 ということは、簡単に立場が入れ替わることだってあるのです。
 実際に、ほんの70年前、特攻機で突っ込んでいく日本人は、世界の人たちから「ありえないよね」と、同じように見られていたのですから。

 相対化の基準点が個人から社会に移ることほど恐ろしいことはない、ということを、私たちは決して忘れてはなりません。

自分が所属する場所を絶対化する愚

 ある飲み会で、隣りに座った初対面の男性(70代)が、突然こんなことを言い出しました。
「私は日本という国は特別な国だと思うんです。素晴らしい歴史と伝統を持っている。世界中どこにもこんな国はない……」
 こういうことを言う人はよくいます。日のいずる国日本。日本は世界の中心的存在になるべき国だ……といった主張。これがエスカレートすると「神国ニッポン」「大東亜共栄圏」「一億総火の玉だ」となりかねないので、危険な「思いこみ」です。
 日本はいろいろな意味で「変わった国」かもしれませんが、神に選ばれし「特別な国」ではありません。
 島国であったために、大和朝廷成立以降は長い間外国からの侵略を防げましたが、それ以前の歴史を見れば、縄文時代と呼ばれる1万年の長きにわたって多民族が大きな争いもなく平和に暮らしていた島に、大陸から新しい民族がやってきて各地で戦争を繰り広げながら支配を確立していったのです。
「日本人」は多くの異なった種族の血が入り交じった一大混血人種であり、日本という国が成立した時点で、すでに多民族国家であったということが言えるでしょう。
 自分が生まれ育った国や土地を愛する気持ちは自然なことで、否定するつもりはまったくありませんが、間違った思いこみに立つ絶対化は危険きわまりないものです。
 こうした愛国心や郷土愛は、ともすると裏返しのコンプレックスとなって表出します。
 日本は遅れている。先進国スウェーデンを見よ、ドイツを見よ。
 ○○県は遅れている、東京では……。
 ○○村は遅れている、隣の△△町では……。
 ときにはこうしたことを都会から来た移住者が主張したり、国から研究補助金をもらっている大学の学者などが自治体に「地域活性化のための」プロジェクトを持ち込むといったこともあります。
 そうした場面で、地元住民や自治体が、都会やアカデミズムを「よりよいもの」「信頼できるもの」「権威のあるもの」だと単純に認めてしまうと、悲惨な結果が待っていることが多々あります。
 都会に比べたらこの土地の経済は遅れている、もっと発展しなければならない。そのためには田舎の保守性を打破して外からの提言を積極的に受け入れることが必要だ ……といった主張は、一見もっともにきこえるかもしれませんが、そもそも比較する対象、相対化の指標が間違っています。
 過疎地に大型プロジェクトが持ち込まれる場合、たいていは「税収が増える」「雇用が増える」「関連設備工事などの特需が見込め、地域のインフラも飛躍的に整備される」といったおいしい話が先行します。
 しかし、実際に進めていくと、その事業には国の補助金がついていて減免措置があり、地方交付税も減らされるので税収はあまり上がらず、特殊な業務は本社や専門の関連企業から派遣される社員が行うので、地元の雇用も思ったほどではなく、施設や設備建設時の作業員送迎、弁当、宿泊などで一時的に小金が落ちただけ ……といった事例が少なくありません。
 景気が悪くなって事業が継続できなくなると、跡地に処理困難物が残されたり、廃棄物処分場などの迷惑施設建設候補地として狙われるという負の遺産を背負い込むことも多々あります。
 田舎には田舎の価値があり、都会になる必要はないのです。
 国中が都会になることはできません。
 人口の少ない自治体は、国から地方交付税という一種の援助をもらってなんとか財政を維持しているという負い目がありますが、人が少ないということはそれだけ自然環境がまだ残っているということです。その森林や水源がなければ都会の生活は維持できないのですから、お互い様なのです
 ですからもっとしっかり足下を見つめ、その土地が持っている本来の価値を失わないようにすることが絶対に必要です。


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