人生の相対性理論(13)


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「夢」も「現実」も絶対化してはいけない

 地産地消とコストパフォーマンスの狭間で揺れ動く蕎麦屋の店主の話にも通じるのですが、理想と現実という二項対立と並んでよく取り上げられるテーマに「夢と現実」というものがあります。
 映画やドラマなどでも、一度は諦めていた夢に挑戦してその夢を実現する、といったお話がよくあります。
 これもまた、現実を絶対化する、あるいは夢を絶対化する両極端になりがちです。
 当然、そう単純な話ではありません。

 スローライフや田舎暮らしといった生き方が「よきもの」として取り上げられます。モーレツ社員で半生を終えた人が、田舎に引っ越して自然農業を始めたり陶芸作家をめざしたり、といったドラマやドキュメンタリー番組は、嫌と言うほどたくさんあります。
 しかし、そこにある種の「絶対バイアス」がかかることも見逃せません。
 特に、企業や組織の中で与えられた仕事をひたすらこなしてきた人たちは、夢と現実の相対評価がきちんとできない傾向があるように思います。

ある陶芸家の失敗

 家族のために企業人として必死に働いてきたAさんは、退職したら自分が本当にやりたかったこと ──自然に触れ、自給自足生活をしながら好きな陶芸をやるのだと密かに意気込んでいました。
 ずっと探し求めていた理想の古民家物件を見つけ、定年まで待てず早期退職し、退職金を注ぎ込んでボロボロの廃屋を自分好みに改装し、納屋には窯を作って、粘土もどうせなら地元の土を使おうと用意して ……ついに理想の生活をスタートさせました。
 もともと美術の才能はあったので、すぐにそれらしいアートっぽい皿やカップが焼き上がり、個展や販売も開始。作品は友人たちにも好評価を受け、順調に理想の老後生活が始まったかに見えました。
 しかし、最初のうちは「すごいね」「羨ましい」と言ってくれていた友人たちも、だんだん疎遠になっていきました。
 実はAさんが作る陶器は、見た目はかっこいいのですが、使っていると1年も経たないうちにポロッと取っ手が取れたり、ちょっとした衝撃ですぐに割れたり、デザインが凝りすぎていて使いづらい ……といった多くの欠点を抱えていたのです。
 また、無農薬で自然農業の自給自足生活を理想にしているAさんは、農薬の空中散布や除草剤での草取り省力化があたりまえになっている地元の農家とぶつかり合うことが増え、人間関係がぎくしゃくし始めます。
 先祖代々の農家にとっては、後継者不足や農業の大規模効率化問題が深刻です。そういうものとは無縁で、自分が食えるだけの米や野菜が作れればいいというAさんの生活スタイルや哲学に共感する余裕はないのです。

現実と相対化させない夢は脆い

 もちろん私は、Aさんのような生き方を否定するつもりはありません。自分にとっての価値、幸福感を追求する姿勢自体は少しも間違っていないからです。
 修正点があるとすれば、自分の夢を、自分が頭の中で思い描いている理想像と相対させず、現実や社会の平均的要求(常識)と相対させたほうがよい、ということでしょう。
 あるいは、自分にとっての理想を常に現実と相対化させ、柔軟性を持たせることです。
 Aさんにとっての陶芸が純粋に「アート」であるのなら、作品に実用品としての耐久性がなくても「土の芸術」としての造形美を追求すればよいでしょう。ただ、その場合、作品は自分で眺めて満足するとか、美術展に出品するといった方向に進むことになります。世の中には「座りたくても座れない椅子」「水が漏れ出る茶碗」といった、わざと非実用的なものを作って、これは思想性が宿った芸術作品だと主張するアーティストもいます。
 長く愛される実用品を作ることが目標であるなら、根本的に修業し直さなければなりません。Aさんがアート志向の陶芸作家だとしても、耐久性や実用性を追求することで、むしろアート性も高まるのではないかと私は思います。
 このように、自分が描いている理想像をどんな価値観と相対させるかによって、やっていることへの評価は変わり、生き方も外からと内から、両面から自動的に修整されていくはずです。
 この変化をも、人生の面白さであるととらえて、新しい価値、楽しみ方を見つけていくのも、ひとつの生き方ではないでしょうか。
 そうした価値観の相対変化ができない場合、特に商売の経験がない人が夢にこだわった計画を立てて失敗し、なけなしの蓄えをさらに減らしてしまうことはよくあります。

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「神の鑿」石工三代記の祖・小松利平の生涯を小説化。江戸末期~明治にかけての激動期を、石工や百姓たち「庶民」はどう生き抜いたのか? 守屋貞治、渋谷藤兵衛、藤森吉弥ら、実在の高遠石工や、修那羅大天武こと望月留次郎、白河藩最後の藩主で江戸老中だった阿部正外らも登場。いわゆる「司馬史観」「明治礼賛」に対する「庶民の目から見た反論」としての試みも。

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