人生の相対性理論(9)


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都市生活者が犯しやすい情報の絶対化

「フクシマ」*の話が出たついでに、都市生活者が陥りやすい情報や基準値の絶対化という問題についても触れておきます。

原発が爆発した直後からしばらくの間、「放射能汚染された福島にはもう住めない。それなのに子供と一緒に住んでいる親は無責任だ」とか、「危険なのに安全だと言って無理矢理住民を帰そうとしている政府は人殺しだ」といった批判をよく目にしましたが、それらの発信源は主に都会で暮らしている人たちでした。
 こうした批判の一部は正しいのですが、一方的に発せられるそうした論に対して、福島県内で今も暮らしている多くの人たちは、迷惑この上ないと感じていました。
 放射性物質がばらまかれたのですから、それ以前よりも危険が増したことは間違いありません。しかし、人が生きていく上で、危険や困難はたくさんあります。
 うっすら汚染された場所で生活を続けていく危険より、家族がバラバラになったり、収入が途絶えたり、生き甲斐をなくしたりすることによる危険、あるいは不幸になる度合や加速度のほうがはるかに大きいと判断することは間違いではありません。
 いわゆる「年間20ミリシーベルト論争」なども、数値を絶対化してしまうことから生じる対立といえるかもしれません。
 20ミリシーベルト論争のことを少しだけ解説しておきます。
 日本には「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」というものがあり、そこで「人が放射線の不必要な被ばくを防ぐため、放射線量が一定以上ある場所を明確に区域し人の不必要な立ち入りを防止するために設けられる区域」として「放射線管理区域」というものを定めています。
 その条件の一つに「外部放射線量が3か月あたりで1.3mSv」というのがあります。3か月で1.3mSvということは年間で5.2mSvであり、1時間あたりにすれば0.6μSvになります。
 ところが、福島第一原発が壊れて大量の放射性物質を環境中にばらまいてしまった後は、暫定基準としつつも、年間20mSvまでは健康被害はないと考える、ということにしてしまいました。
 これに対して、「とんでもない話だ」という人たちと「ヒステリックに騒ぐのは愚かだ。冷静になれ」という人たちが真っ向から対立し、議論も噛み合いませんでした。
 20mSvという数値のことでいえば、安全か危険かということ以前に、都合が悪くなったので一気に基準を引き上げるという姿勢がまずダメです。
 なぜこんなことになってしまったのか、責任は誰にあるのか、そうなってしまった以上、これからどうするべきなのかという話が全部棚上げ、無視されたままで「20mSvで大丈夫です」と、そこだけはさっさと決めてしまう。そうした不誠実さがまずは追及されるべきです。
 また、「大丈夫」派は「チェルノブイリに比べれば放出された放射性物質はずっと少ない」という言い方をしますが、これは一見、チェルノブイリ事故との相対化をしているようでいて、実際にはチェルノブイリ事故の数値を絶対化して、「あれに比べれば……」という論法に持ち込んでいます。
 チェルノブイリも「フクシマ」も、放出された放射性物質の絶対量や汚染された土地の面積規模が問題の本質ではありません。
 そういう事態に至らせた人間側の問題、社会やシステムの欠陥を見ていかなければ何の解決にもなりません。

私は福島第一原発が壊れて大量の放射性物質が放出された事件を「事故」と呼ぶことに抵抗があります。あの事件を引き起こしたさまざまな要因やシステムの欠陥、そしてあれが原因で今も進行中のあらゆる出来事を総称して「フクシマ」と、カッコつきのカタカナ表記をしています。これは「福島県」のことではありません。

安全か危険かの二択ではない

「フクシマ」がもたらした放射能論争においては、安全と危険の境界線がはっきり分からないにもかかわらず、避難=安全、居残る・帰還=危険のような二択問題として考える人が多くいました。
 壊れた原子炉から流れ出した放射性物質によって汚染された地域は、現場からの距離よりも、そのときの天候(風向き、雨や雪が降ったかどうか)によって決定づけられました。チェルノブイリのときに、遠く離れた北欧やドイツ南部などがかなり汚染されたように、「フクシマ」でも、汚染された場所は広範囲に点在しています。
 福島県は本州で二番目に広い県です。
 福島県内でも会津方面などはほとんど汚染されませんでしたし、一方では福島県以外のエリアでも深刻な汚染を受けた場所があちこちにあります。それらの地域の人たちは「福島県外」であるということで、十分な補償を受けることもできないという理不尽な状況も生まれました。
 福島県内、とくに都市部では、多額の賠償金をもらった一部の避難者と、十分な賠償を受けていない県民との間で深刻な軋轢が生まれています。被害の受け方を相対化すると複雑になり、また、都市部を汚染地域と認めてしまうと賠償金額が桁違いになるために、線引きをして被害対象を限定したわけです。
 汚染状況の複雑さや賠償の格差が、長期的には人々に大きな影響を及ぼしました。単に流れ出した放射性物質の総量や汚染された(と認定された)土地の面積の数値で計れる問題ではないのです。
 私が住んでいた川内村では、村の中心部よりも、村民が避難した郡山市のほうが放射線量が高いことが分かりました。
 放射性物質を含んだ雲(プルーム)は川内村を避けるように北西方向に流れ、その後東北道に沿うように南下していったためです。
 村唯一の小学校は、避難先で間借りした郡山市内の小学校より放射線量が低かったので、こどもたちは避難先で「より高い被曝をする」羽目になりましたが、これはほとんど報道されていないので知っている人は少ないでしょう。

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