人生の相対性理論(7)


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価値と評価の相対性

 もう一つ「絶対」を疑う実例として、名作、名品といわれる芸術作品の価値と評価の相対性を考えてみます。
 私は子どもの頃から人よりも記憶力が劣っていて、学校の教科でも、社会科科目は大の苦手だったという話はすでにしました。国名と首都名の紐づけや、人名・地名の暗記はどれだけ時間をかけてもなかなか覚えられませんでした。(ましてや高齢者になった今ではボロボロです)
 大学はなんとか第一志望に入れたのですが、2次試験の面接では、面接官(英和辞典の編纂で有名な小稲義男教授)から「この日本史の点数でよくここにいられるね」と言われたものです。
 入試で日本史の点数がひどいことは試験が終わった直後から分かっていました。
 美術史に関する大問を丸ごと全部間違え、そこの配点(最低でも15点くらいあったはず)がゼロだったのです。

 問題は単純で、

  ……

 ……といったリストを見て、作者名と作品名を紐づけする問題です。これがなんと全問不正解でした。
 家に帰ってから自己採点をしてそのことが分かったときは、こんなことで人生が変わってしまうのかとやりきれない思いでした。
 本物の作品を写真で見せられるならまだしも、タイトルだけ見て作者名を答えるなんてことになんの意味があるのか? そもそもこれは「日本史」とどう関係あるのか?
 考えれば考えるほど腹立たしく、最後は「こんなクソ問題を出す大学なんか、誰が入ってやるもんか」と息巻いたのを覚えています。
 日本史の教科書に載っている美術作品は、たいていは小さなモノクロ写真で紹介されています。その小さなモノクロ写真を見ただけで、とりあえず作品名を暗記する。試験で点数を取るために。
 試験が終わった後は、一生、本物の、あるいはせめて大きなカラー写真で、その作品をじっくり鑑賞することさえない受験生がほとんどでしょう。
 その作品が好きか嫌いかとか、作者がどんな人生を歩んだか、なんてことは関係ありません。尾形光琳がどんな作品を遺したのか、タイトルだけを丸暗記すれば、入試で点を取れる──それでおしまい。
 なぜ尾形光琳の作品名は試験に出るのか? ──「歴史的に有名」な美術家とされているから。
 なぜ尾形光琳は歴史的に有名な美術家なのか? ──飛び抜けて「すばらしい」作品を遺したから。
 なぜ尾形光琳の作品は飛び抜けてすばらしいといえるのか? ──そう「評価」する者がいたから。
 誰がすばらしいと評価したのか? 
 ……さて、誰なんでしょう。
 もちろん一人ではないはずで、多くの人間が評価したからこそ歴史の教科書に載ったわけですが、その多くの人間って、具体的に誰? いつ、どんな価値基準で評価したのか……いくら考えてもスッキリしません。
 評価の相対性──何と比べて、どのように考えて「素晴らしいと評価する」のかがよく分からないのです。

評価が数や権力と相対することの不健全さ

 尾形光琳が生きていた時代、一般庶民は彼の作品の存在を知りませんでしたし、作品を見ることもできませんでした。つまり、庶民にとって、光琳は存在していないも同然でした。
 光琳自身も、自分の死後、自分の名前が歴史の教科書に載るなんて思ってもいなかったでしょう。
 それでも、私は光琳やピカソが評価された歴史はとても健全だとは思うのです。評価の基準が「数」(何人に気に入られたか)ではなかったからです。
 現代では評価の基準が「数」になってしまいました。巨大数の購買者(ユーザー)を獲得できそうもない作品はどれだけ質が高くてもなかなか世に出ていきません。
 日本の商業音楽史上最も売れた楽曲は『およげ!たいやきくん』です。レコード・CDの売り上げ枚数累計は500万枚以上といわれており、2016年現在もこの記録は破られていません。
 では、将来、『およげ!たいやきくん』は「歴史に残る名曲」として教科書に載るのでしょうか。そして、受験生は日本史の試験で点数をとるためにこの曲の作曲者名を暗記させられるのでしょうか。
(誰が作曲したか知っていますか? 佐瀬寿一氏です。畑中葉子が歌った『後ろから前から』なんかも作曲しています)

尾形光琳 ── 紅白梅図屏風
佐瀬寿一 ── およげ!たいやきくん

 正解!
 ……いやいやいや、歴史の勉強というのはそういうことではないと思います。

「歴史」の真贋

 そもそも教科書に載っている歴史はどこまで本当のことなのでしょう。
 例えば、「大化の改新」って、本当にあったの?
 「改新」って言われると、なんかいいことなのかな~、と思いがちだけど、どうなの?
 中大兄皇子というと、なんとなくハンカチ王子みたいな「いいもん」のイメージだけど、蘇我蝦夷なんて、字からしてガマガエル顔の悪者って感じだよね。ほんとにそうだったの? なんか、悪者に仕立てたい人が、後からそういう名前をつけちゃったんじゃないの?

 同様に、安政の「大獄」って言われると、投獄された方か投獄した方のどちらかが悪いやつで、悪いことをしたんだろうなと思ってしまいますが、明治「維新」と言われると、そうしなくちゃいけなかったんだ、と思いこまされます。
「平定」とか「征討」とか、日本史の教科書には勝利者側からの視点でつけた言葉がいっぱい出てきます。
 ロッキード「疑獄」がなければ、後の世では「角栄の改新」となっていたかもしれません。
 学校で教えられた歴史や法律というものは、定められた時点で絶対的な権威を持っているかのようにとらえられがちですが、そもそもなぜそういう内容にまとめられたのかという背景を知ることが重要です。
 憲法学者の木村草太氏は、こんなことを言っています。
 教育内容は、その普遍的な価値を実現するのに効果的で、かつ、弊害の生じないものが選ばれなければならない。これを行政法の世界では、「比例原則」とよぶ。
  (略)
 法は、人間味のない冷たいものではない。法は、人類の失敗の歴史から生まれたチェックリストだ。憲法は、国家が権力を濫用し、人々を苦しめてきた歴史から、国家の失敗を防ぐ工夫を定めたリスト。民法は、人々の生活の中で生じやすいトラブル集とその解決基準。刑法は、よくある犯罪集とそれへの適正な刑罰の目安を定めたリストだ。
 法学を学ぶということは、人々の失敗の歴史に学ぶということだ。法には、すべての人の異なる個性を尊重しあいながら共存するための知恵が詰まっている。法は、全ての人を見捨てない。法学に触れて、法の優しさ、暖かさを感じてほしい。
木村草太 これは何かの冗談ですか?  小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!? 2016年1月 現代ビジネス

 つまり、法や教育は、絶対基準ではなく、そこから相対的価値を引き出せるものだ、ともいえるでしょう。
 法に定められているから、教科書に書かれているからそうなのだ、ということでおしまいではなく、その法はどういう経緯で成立したのか、教科書に載るほどの人物や事件、文化にはどういう背景があり、価値・意味があるのか、というところまで見ていく必要があるということです。
 暗記させるだけで、分析する能力をつけさせない歴史教育なんて、やめちまえ!
 ……と、私の中では40年以上経っても、尾形光琳──紅白梅図屏風 に対する恨みはまだくすぶっています。



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