馬鹿が作った明治(17) 

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大逆事件と特高創設

イシ: 日本が韓国を完全に支配した1910年、国内では何の罪も犯していない社会主義者数百人を次々に逮捕、検挙して、そのうち26人を明治天皇暗殺計画容疑として起訴、24人を死刑にした「大逆事件」という事件が起きた。

凡太: 無罪の人たちに罪を着せて死刑にしたんですか?

イシ: そうだ。死刑になった24人の中には幸徳秋水という名の知られた論客もいたんで、「幸徳事件」とも呼ばれている。
 これは詳しく説明する必要がある。事件の名称にもなった幸徳秋水の生涯を見ていくことで、まずは当時の政府と社会主義運動との関係を見ていこう。

幸徳秋水(1871-1911)

本名:幸徳伝次郎。高知県幡多郡中村町(現:高知県四万十市町)で、先祖は陰陽師だった酒造業、薬種業を営む名家に生まれる。
  • 1887年、15歳で上京し、翌年から同郷の中江兆民の自宅に門弟として住む。「秋水」は中江から与えられた号。板垣退助が社長を務める「自由新聞」に勤務するも、1987年12月に施行された保安条例によって東京を追われる。
  • 1892年「萬朝報」の記者になり、日本軍が義和団の乱(北清事変)制圧の際に清国の馬蹄銀を横領したと追及して、ときの陸軍中将・真鍋(あきら)を休職に追い込んだ(馬蹄銀事件)。
  • 1899年、師岡千代子と結婚。
  • 1901年、安部磯雄、片山潜、木下尚江らと共に社会民主党の結成に参加。しかし前年に施行された治安警察法により、同党の活動は即日禁止に。
  • 1903年、堺利彦らと「平民社」を結成し、「平民新聞」を発行して戦争反対を主張。翌年、日露戦争勃発。
  • 1905年2月、平民新聞の内容が論調が新聞紙条例違反と見なされ、秋水は逮捕されて牢獄入り。獄中で、ロシアの無政府主義者クロポトキンについて知り、無政府主義の思想に傾く。11月に出獄後、渡米し、サンフランシスコで無政府主義について研究。
  • 1906年、片山潜らと日本社会党を結成。しかし、秋水が社会党内で無政府主義を広めたため、内部分裂。
  • 1907年、政府は日本社会党内に広まりつつあった無政府主義を危険視し、解党させる。
  • 1908年、東京神田の映画館で、平民新聞の執筆者で東京市電の運賃値上げ反対事件関係した件で投獄されていた山口孤剣(1883-1920)の出獄祝いに集まった社会主義運動の仲間たちが警官隊と衝突。秋水はこのときたまたま郷里の高知に帰っていて参加していなかったが、集会参加者10名(内、女性4名)が逮捕されて拷問を受けた後、8名が検挙された。逮捕された女性の一人管野(かんの)スガが釈放後に秋水の援助を受けるようになり、二人は社内同棲を始めた。二人とも既婚者だったためにスキャンダルになる。
  • 1909年7月、平民社が家宅捜索が入り、社内で病気療養していたスガが逮捕連行される。その後、罰金刑に処されて釈放。
  • 1910年3月、平民社解散。
  •  同年5月25日、平民社と関係のある明科製材所の工員・宮下太吉ら3名が無許可で爆弾を製造したという爆発物取締罰則違反容疑で逮捕される(明科事件
  •  同年6月1日、湯河原で湯治していた秋水とスガが明科事件に関連して天皇暗殺を企てたという「大逆罪」の嫌疑で逮捕される。同時に多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まる。
  • 1911年1月18日、逮捕した者のうち24名に死刑、2名にへ有期刑の判決。24日に秋水を含む11名、25日にスガの死刑が執行された。死刑判決を受けた残り12名のうち5人は特赦無期刑となって獄死、7人は仮出獄。
幸徳秋水と管野スガ


凡太: 学校では幸徳秋水は無実だったのに処刑されたと教わりました。そうなんですか?

イシ: 今ではそれが定説になっているね。教科書にも「明治天皇暗殺計画に関係したとして、無実の幸徳秋水らも含め12名が死刑になった。(山川出版社「新日本史」)」と、サラッと書いている。
 とにかく官憲は秋水を消したくて躍起になっていた。大逆罪というのは、天皇、皇后、皇太子、皇太孫、皇太后、太皇太后に危害を加えようとする罪で、未遂でも必ず死刑に処すると定められていた。つまり大逆罪ということにすれば確実に死刑にできる。秋水らを一掃するチャンスだととらえて強行したんだろうね。
 実際には、天皇暗殺計画を企てていたのは宮下太吉、管野スガ、新村忠雄、古河力作の4名で、他の逮捕者は計画の存在すら知らなかったといわれている。

凡太: 誤認逮捕とかではなくて、無実が分かっているのに逮捕、処刑したんですか。警察もひどいけれど、司法がちゃんと機能していないですね。

イシ: まったくだね。明治以降の司法崩壊史というのもまとめてみる必要がありそうだね。最初は江藤新平の処刑あたりかな。

凡太: 司法省だった江藤さんが、まともな裁判も受けられずに斬首され、晒し首になったんでしたね。あれはひどい。

イシ: 中には、大津事件のときの大審院長(現在の最高裁判所長官)・児島惟謙(これかた)みたいに、司法の独立を死守した裁判官もいたんだけれどね。

凡太: 大津事件というのはなんでしたっけ?

イシ: 明治24(1891)年に、来日していたロシアのニコライ2世が、警備にあたっていた警官に襲撃されて大怪我を負った事件だね。このとき政府は、犯人の津田三蔵巡査をなんとしてでも死刑にしたかったので、大逆罪を適用せよと圧力をかけてきたけれど、児島は「法治国家として法の範囲で判決を出さなければならない。日本の刑法に外国皇族に関する規定はないから大逆罪にはあたらない」として、無期懲役を言い渡した。
 これによってむしろ欧米列強からは「日本も法治国家になった」と評価され、以後、領事裁判権の撤廃にもつながっていくんだけれど、幸徳事件はそうした過去の事例を台なしにした。

 幸徳事件がいかにひどかったかを、このとき逮捕されてあわや死刑になるところだった坂本清馬(せいま)という人物にスポットをあてて検証してみよう。

坂本清馬(1885-1975)

高知県安芸郡(現・室戸市)出身。「平民新聞」を読んで社会主義に傾倒し、銅鏡の幸徳秋水の書生となる。しかし、過激路線に走る秋水と衝突して飛び出し、各地を転々とする。幸徳事件のときは東北にいたので、事件との関係性はない。しかし、秋水と関係があったということで狙われ、1910年東京に戻ったところで「浮浪罪」で逮捕された。8月9日に大逆罪で起訴され、1911年1月18日、秋水らと共に死刑判決を受けたが、翌19日に無期懲役に減刑。以後、1934年仮釈放で出所するまで、大逆事件の無期懲役囚12人の中では最長の24年間の獄中生活を強いられた。獄中でも出獄後も一貫して無罪を主張し続け、1961年には事件再審請求の訴えを起こしたが、棄却された。

凡太: 事件の時期に東北にいたのに無理矢理罪を着せられたんですね。死刑は免れたけれど24年間も監獄生活ですか。ひどすぎます。


イシ: 捜査主任として幸徳事件の捜査を主導した小山松吉検事は、1928年9月、思想係検事会という会合で講演したんだが、そのときの「秘密速記録」には、
「証拠は薄弱だったが、関係ないはずがない」「不逞の共産主義者をことごとく検挙しようということに決まった」「邪推といえば邪推だが、有史以来の大事件であるから、法律を超越して処分しなければならぬ」「司法官たる者はこの際、細かな訴訟手続などに拘泥すべきでないという意見が政府部内にあった」などと書いてあった。

凡太: 「法律を超越して処分」したら、それはもう法治国家じゃないです。

イシ: 怖ろしいね。こうした冤罪事件というのは今もまだたくさんあるんだろうと思うよ。
 1966年に静岡で起きた一家4人殺害事件、いわゆる「袴田事件」は、2024年に検察が証拠をでっち上げたと認められて無罪が確定したけれど、事件発生から実に58年。死刑が確定した1980年から数えても実に44年、袴田さんは殺人犯の汚名を着せられて、いつ死刑執行されるか分からない恐怖を抱えながら過ごした。
 一方で、証拠をでっち上げた警察の責任者や真犯人は未だに処罰されていない。

 話を幸徳事件に戻せば、これによって社会主義運動が一気に勢いをなくして「冬の時代」に入っただけでなく、特別高等警察(特高)という、実際の犯罪よりも「思想」を取り締まる警察組織が作られてしまったことが大問題だ。その後、太平洋戦争敗戦に至るまでの間、社会主義や無政府主義だけでなく、非戦、反戦を訴える者はことごとく目をつけられ、逮捕され、拷問を受けるという怖ろしい社会になっていった。

凡太: なんだか、江戸時代よりずっとひどい専制国家になってしまった気がします。なぜそんな風になってしまうんでしょう。

イシ:  一つには戊辰クーデターという明治のスタート時点がよくなかった。邪魔者は消せ、というテロが横行して、それを実行したテロリストたちが暴力で国の中枢に座ってしまった。世界情勢を知る知識人や優秀な官僚たちはみな殺されたり左遷させられたりした。
 もう一つは、欧米列強がアジアを侵略していく中で、日本がそれに呑み込まれないためには欧米列強と肩を並べて、大陸進出するくらいの力をつけなければいけないという思いが政府中枢部に強かったことだね。そのためには、政府の考えに従わない者たちは「危険分子」として抹殺するのはやむを得ないという考えがあった。これも戊辰クーデターからの「伝統」みたいなものかな。
 明治から日中戦争に至るまでの日本を、帝国主義丸出しでアジアを平らげようとする欧米が悪いんであって、日本はそれに対抗するために必死だったんだ、という論調で語ろうとする人たちも大勢いる。もちろん、欧米のやり方はひどかったけれど、それに対抗する手段として、同じような帝国主義的手法を真似て、しかも、個々の戦略ではものすごく稚拙だったということは猛省しなければならないよ。言い換えれば、伊藤博文の後、老獪で合理主義のやり手政治家が育たなかった
 伊藤博文は様々な経験をして、政治家としてのバランス感覚を磨いていった感じだけれど、その後に続く桂太郎や山縣有朋といった長州閥、陸軍閥の政治家、軍人たちがダメだね。

凡太: ダメだ、って、ズバッと片づけちゃうんですね。明治天皇はどうですか?

イシ: 彼はわずか14歳で即位して、京都から東京に連れてこられて、その後は伊藤博文をいちばん信頼していたようだね。でも、若いときから政治に利用される立場だったから、大人になっても直接政治に口を出したり命令したりすることはなかった。政府に請われてときどき勅命を出したりするだけの立場。大逆事件のことも、判決が下りてから知らされたそうだ。
 伊藤が暗殺されてからは、心身共に衰弱して、この頃はほとんど言葉も発しなくなっていたようだよ。
 そしてついに、明治45(1912)年7月に亡くなる。

凡太: 明治時代の終わりですね。

イシ: そうだね。陸軍大将で、当時は学習院院長でもあった乃木希典は、大喪の礼が行われた9月13日、妻と共に自殺した。

凡太: 殉死ですか? 徳川時代には禁止されていましたよね。

イシ: 妻が懐剣で心臓を突き刺したのを見届けて、自分の腹を十文字に切り、軍刀を床に立てて首を突き刺して死んだとされている。遺書には、西南戦争従軍の際に連隊旗を奪われたことを償うための死である、と書かれていたそうだ。

凡太: う~ん、理解できません。奥さんまで一緒にというのが特に……。

イシ: 乃木は西南戦争後にも日露戦争後にも「責任をとって死ぬ」と言って、周囲に止められているんだよね。日露戦争では旅順攻略での戦術失敗で多くの兵を死なせてしまったことを悔い、明治天皇に「死んでお詫びしたい」と奏上したが、天皇から「死ぬなら余が死んでからにしてくれ」と言われたというエピソードもある。
 学習院の院長に就任後も、寄宿舎を建てて全寮制にして、自ら寮に住み込んで学生を厳しく指導したそうだ。野球などはお遊びだから不要だと言って、剣道などの武道を重視して、生徒に度胸をつけさせるために日本刀を持たせて生きた豚を斬らせたりもしていた。

凡太: あ~、ぼくは無理です。絶対に無理。

イシ: その時代に生まれなくてよかったね。
 とにかく乃木は愚直というか、真面目すぎて戦争の指揮は下手だったと見る人が多い。でも、東郷平八郎の東郷神社のように、全国に乃木神社が建てられているね。
 こうした人物がいわゆる「忠臣」の象徴とされて称えられ、天皇のために死ぬことは立派なことだという教えが強化されていったことを思うと、軍国主義の象徴のような人物であることは確かだね。

 こんな風にして明治という年号の時代は終わった。
 戊辰クーデターで始まって、韓国併合、大逆事件、特高創設、乃木夫妻殉死で終わる明治。

 明治天皇が亡くなったこの年のはじめ、中国では前年に起きた辛亥革命で清朝が倒れ、孫文を臨時大総統とする中華民国をが成立。秦の始皇帝以来続いていた皇帝政治が終わり、アジアで最初の共和政国家が樹立した。
 他にも、世界に目を向けると、ドイツは皇帝ヴィルヘルム2世がアフリカのモロッコに軍艦を派遣してモロッコの実質的宗主国であるフランスと対立(第2次モロッコ事件)。
 イタリアはオスマン帝国領リビアのトリポリに出兵して伊土戦争(イタリア=トルコ戦争)が起きて、オスマン帝国支配が続いていたバルカン半島諸国の民族運動を激化させた。
 インドネシアではイスラム教徒による民族主義団体サレカット・イスラムが成立。
 メキシコでも民族主義的なメキシコ革命が起きて、インドではガンディーらの運動で反イギリス闘争が激化して、ベンガル分割令が撤回された。
 こんな風に、世界中で民族主義運動が高まり、従来の支配者層と対立していった激動の年だったんだけれど、日本では逆に天皇を頂点とする専制国家体制が固まったといえるかな。

 ここから先は日本にとってますます大変な時代に入っていくわけだけれど、明治時代が終わったというところでキリがいいから、とりあえずここで一旦区切ろう。

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『真・日本史(3) -馬鹿が作った明治』

明治「維新」がいかに愚劣なクーデターであったかを告発する本は多数出ている。本シリーズの第2巻でも、戊辰クーデターは「維新」などと美化されるものではなかったことを順を追って解説したが、そのクーデター後に始まった明治という時代を作った明治新政府は、やはりダメダメだった。副題では思いきって「馬鹿が作った」と言いきっているが、では一体どのへんが馬鹿だったのか。
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ο廃仏毀釈という悪夢/破壊されたのは「もの」だけではなく人々の心
ο司法卿をまともな裁判もせずに斬首・晒し首/西南戦争の実相
ο渋沢栄一成功物語の裏にある藩閥政治/渋沢は日本初の銀行の「創設者」ではない/渋沢と岩崎弥太郎の違いと共通点
ο自由民権運動とは何だったのか?/板垣は藩閥政治が産み落とした鬼っ子/福島事件の実相/板垣は死せずとも自由は死んだ?
ο薩長閥 vs 大隈・板垣の権力闘争/大日本帝国憲法は「伊藤憲法」/大日本帝国憲法という呪い
ο日清戦争への助走/当時の中国と朝鮮もトンデモな政体だった
ο日清戦争と日本の戦争依存症/大院君vs日本の裏工作対決
ο日露戦争勝利という歴史の番狂わせ/ポーツマス条約という「成功」を理解できなかった日本国民
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真・日本史(3)
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2. 戊申クーデターまでの経緯
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