満州と朝鮮への進出という毒饅頭
イシ: さて、日露戦争によって日本は極度に疲弊したけれど、とりあえず朝鮮を実質支配する道が開け、満州でもロシアを撤退させたことで権益確保を狙える状況が作れた。
まずは遼東半島の一部。
日本は日清戦争で一度は手に入れかけた遼東半島を、ロシア、ドイツ、フランスの
三国干渉によって返還させられたわけだけれど、ポーツマス条約によって、この遼東半島でロシアが租借していた地域を日本が引き継ぐことになった。
旅順と大連を含む地域だね。
凡太: 旅順といえば、日露戦争で軍港奪取をかけて激戦になったところですね。
イシ: そうそう。延べ13万人の兵を投入して死傷者約6万人を出した。そこを手に入れたわけだね。
ロシアの租借地そのものは鳥取県くらいの広さしかないんだけれど、大陸への入口という要所だったから、日露戦争のときも大激戦地になった。
日本はポーツマス条約締結直後の9月26日には
関東総督府を設置して、旅順・大連地域を「
関東州」と名づけ統治にあたらせた。1905年12月には清国との間に「満州に関する日清条約」を締結して、正式にロシアの租借権を日本が受け継いだことも認めさせた。
関東州の位置
凡太: 「統治にあたらせた」って言っても、基本は借りているだけで清国なんじゃないですか?
イシ: まあ、名目上はどうにでもなる、ってことかな。関東総督府は天皇に直属していて、関東州の軍備、治安、民政を監督する統治機関である、ってことになってた。事実上の植民地かな。初代総督には大島義昌陸軍大将が就任した。
その指揮下に1万の軍隊が駐留して、関東州と、やはりポーツマス条約で手に入れた
旅順-長春間の南満洲鉄道支線の警備にあたった。この支線はロシアが建設したものだけれど、それを日本は手に入れて、
南満州鉄道株式会社として運営を始める。いわゆる「
満鉄」だね。
満鉄を手に入れたことで、日本は
鉄道沿線の鉱山開発や商工業面での利権獲得など、それまで列強諸国がやってきた大陸の分割統治手法を踏襲することができた。
関東総督府は
関東都督府と改称されて、そのトップの関東都督には軍人がつくことになった。
凡太: 1万の部隊というのは大規模ですね。またロシアに攻め込まれないように、ということですね。
イシ: そうだね。しかし、これがやがて
関東軍という権力集団になっていって、いろいろしでかすわけだ。
一方、朝鮮半島は、ポーツマス条約後の1905年11月17日に、大韓帝国との間に「
第二次日韓協約(日韓保護条約)」を結んで、
事実上、日本の保護国にしてしまった。翌1906年には
韓国統監府が設置されて
伊藤博文が初代統監として着任した。
ハーグ密使事件と伊藤の韓国保護政策
凡太: このときはまだ
高宗が皇帝だったんでしたっけ?
イシ: そう。まだ高宗だったか……という感じだね。金弘集が殺されずに生きていれば、少しはまともな政体が維持できていたかもしれないけれど、高宗では難しい。他国の力に頼るばかりで、時代の激流に流されるままという感じだね。
ただ、この第二次日韓協約は日本が高宗らを脅迫して結ばせたもので、そもそも無効なのだという論もある。その証拠に、条約には皇帝高宗の署名捺印がないし、その後、皇帝は条約の無効を各国に対して訴えているではないか、というわけだ。
実際、高宗は、イギリスのイギリスのハーバート・ヘンリー・アスキス伯爵(1908年から首相)に「この条約は脅迫されて結ばされたもので無効であり、アメリカにもそのように伝えてほしい」と訴えていて、その後も、オランダのハーグで開催された第2回万国平和会議に3人の密使を送って、諸外国に日本による外交権剥奪を無効にするよう訴えようとした(
ハーグ密使事件)。
しかし、派遣された3人は会議場では門前払いをくらってしまう。ロシア、アメリカ、イギリスら列強諸国は面会も拒絶した。すでに日本による韓国の事実上の統治を認めていたからだ。ロシアにも相手にされなかったのはショックだっただろうね。
この件で、日本政府は韓国統監・伊藤博文に、これは中途半端な対処ではまずいだろうが、どうしたものかと相談する。
伊藤はすぐに高宗を問い質し、このままでは宣戦布告もあるぞと脅して退位させた。後継は長男の
純宗となったんだが、ソウルでは反日暴動が起きて死者も出た。
で、これがきっかけで
第三次日韓協約ができて、韓国軍は解散させられ、
韓国は外交権だけでなく軍事権も失って、完全に日本の支配下に入った。
凡太: 密使を送ったことは完全に裏目に出てしまったんですね。
イシ: そうだね。でも、この当時の韓国には、独立して諸外国とやりあうだけの土台がなかったのも事実だろう。なにせ人材が見当たらない。閔妃、高宗の時代が長引いたのもよくなかった。
そんな韓国を、保護国ではなく、完全に日本に組み入れてしまえ、という日韓併合論も日本政府内では出ていた。
特に
山縣有朋、桂太郎、寺内正毅といった陸軍軍閥は、日韓併合を急いで、日本の大陸進出を加速させようとしていた。
でも、伊藤はそれには反対だったようだ。日本の一部にしてしまうのではなく、あくまでも保護国として監督し、独立した政体が育つようにしていきたいと考えていたフシがある。
凡太: 本当ですか?
イシ: 高宗の後を継いだ純宗には子供がいなかったため、高宗の七男(純宗からは異母弟)・
李垠が皇太子になったんだが、伊藤は李垠を日本に招いて、親代わりになって様々な教育を受けさせ、学習院を経て陸軍士官学校に入学させた。
高宗の後継として皇帝になった純宗は、1898年に高宗の毒殺を謀った毒入りコーヒーを飲んだせいで心身に障害を残し、政治判断などはまったくできる状態ではなかった。伊藤としては、その後を継ぐ李垠にしっかり為政者としての教育をして、日韓の結びつきを強めたいという思惑があったんだろうね。
李垠(1897-1970)
高宗の七男。伊藤博文の意向により、10歳で日本に留学。明治天皇や、当時皇太子だった後の大正天皇とも親交を深め、学習院、陸軍士官学校を経て、大正5(1916)年に皇族の梨本宮守方子女王と婚約。大正9(1920)年に結婚した。李垠は陸軍中将にまで昇進し、太平洋戦争でも第1航空軍司令官として指揮を執り、敗戦直前の昭和20(1945)年4月には軍事参議官。日本の敗戦後は王族でも日本人でも韓国人でもない扱いになり、多くの財産を失った。昭和34(1959)年、脳梗塞で倒れ、歩行困難に。翌1960年にようやく日本国籍を取得でき、1963年には日韓国交正常化交渉が始まったことでようやく韓国籍も取得。韓国に帰国した後、1970年、満72歳で死去。
伊藤博文と李垠(1907年頃)
李垠と妻・方子(1924年)
伊藤は韓国に自立させる力を着けるには教育が大事だと考え、日本から3000万円を借り入れて100以上の学校を作ったといわれている。
それまで韓国では、教育は両班と呼ばれる官僚や支配階級民のもので、庶民はほとんど教育を受けられなかった。
両班階級の間では中国からの漢字文化が中心で敷居が高かったため、伊藤は本来の朝鮮語(ハングル)教育を重視して、ハングル文化の復興を図った。日本から韓国に派遣される日本人の教師たちにも、「誠心誠意接して決して韓国民を差別するな」「宗教については韓国民の自由に任せよ」「日本人教師も朝鮮語を学ぶ努力をせよ」といった訓示をしていたとも伝えられている。
凡太: すごいじゃないですか。伊藤さんを見る目が変わっちゃいました。
イシ: うん。韓国統監就任後の伊藤は、ある意味、理想主義的政治家に見えるね。
でも、その情熱も最後まではもたなかったらしい。韓国内での独立闘争が激化していくにつれ、最後は併合やむなしという考え方に変わっていったようだね。
伊藤が桂太郎首相、小村寿太郎外相らの併合指針に合意したため、日本政府は1909年7月、適当な時期に韓国を併合する方針を閣議決定した。
伊藤は韓国統監を辞職し、4度目の枢密院議長に就任した。
伊藤博文暗殺
凡太: 伊藤さん、最後は韓国を自立させるという考えを捨ててしまった感じですか。
イシ: そうだね。そして皮肉なことに、明治42(1909)年10月26日、ハルビン駅で、
安重根という人物に射殺されてしまった。
韓国の独立運動にとっては、結局のところ、伊藤は独立を妨げる最大の敵としてのシンボル的存在だったんだね。
安重根(1879-1910)
黄海道(現在は北朝鮮内)の両班の家に生まれる。弟の安定根、安恭根、従兄弟の安明根、安敬根らと韓国独立運動に参加。17歳でカトリックの洗礼を受ける。1909年10月、仲間と伊藤博文の暗殺を計画し、10月26日に単身で決行。ただちに捕らえられ、翌年3月26日に処刑された。獄中で『獄中記』『東洋平和論』を執筆。処刑前、親しくなった監視役に「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったという。監獄の刑務所長も安と心を通じ、助命嘆願を試みたり、処刑前日には安の願いを聞き入れて絹の白装束を贈り、分厚い板で作った立派な棺桶も用意した。
凡太: 悲しいエピソードですね。伊藤さんはむしろ韓国の将来を真剣に考えて奮闘していた時期もあったんでしょう?
イシ: そうだね。歴史って、うまくいかないもんだね。
それと、伊藤博文暗殺犯は複数犯だったとか、首謀者は別にいるとか、伊藤に着弾した弾は安が持っていた拳銃のものとは違っているとか、様々な説が出たんだよ。あまりにも多種多様で、評価・検証のしようがないけれどね。
安の評価についても、韓国内では英雄とされ、暗殺から100年にあたる2009年10月26日には、ハルビンで記念式典も行われた。
安が処刑前に獄中で書いた『東洋平和論』には、こんなことが書いてある。
日本がロシアと戦争を始めたとき、日本の天皇は、この戦争は東洋の平和を維持し、大韓の独立を強固にするためだと言った。我々も清朝の人々もこの言葉を信じたからこそ、日本軍を歓迎し、道を整備して荷物を運び、情報も教えるなど助けたのだ。
それなのに、日本はロシアに勝利した途端、いちばん近く、親しく、そして弱い韓国を力で制圧して、強制的に条約を結んで満州を占領した。結果、世界中から疑われることになった。
こうした愚行は天も憎むべきことだが、一人や二人の力や策略でどうにかして消し去ることはできない。
西洋列強が東洋に侵略の手を伸ばしている今、東洋人は一致団結してこれを阻止しなければならないのに、日本は同族である隣国の我々を侮辱し、友情を断ちきり、西洋諸国に労もなく利益をもたらすようなことをしている。
日本のこの馬鹿げた裏切り行為は朝鮮と清国の人々の希望を打ち砕いた。もし日本が今の政策を改めないなら、朝鮮や清の人々の心には、同じアジア人に蹂躙されるくらいなら他民族に破滅させられたほうがまだマシだという気持ちが生まれてしまい、白人たちの手先になり果ててしまうだろう。誠実で勇敢なアジア人なら、こんなことを座して見ていていいはずはない。
よって、東洋平和のための正義の戦いをハルビンから始めることにした。その正否は後々判明するだろう。
みなさんには引き続きこの問題を深く検討していただきたい。
(一部を意訳、要約)
一人二人の力では情勢は動かせない、全員で力を合わせなければいけないのに……と、安は慟哭しているわけだけれど、一人二人の力では無理だという思いは、あの時期、伊藤も抱いていたに違いない。
複雑な状況の中で自分ができることをやろうとしていたけれど、最後は諦めて投げだし、身を引いてしまったのかな。
伊藤と安が話し合いをもったら、案外意気投合する部分がいくつもあったかもしれない。その上で、百戦錬磨の伊藤が「政治に正面突破はないんだよ」といった、戦略のようなものを授けることができたら、安は有能な官僚として人生の後半をすごしていたかもしれない。でも、そうはならないところが歴史の怖さ、悲しさなのかな。
それにしても、若いときによく知りもしない国学者を国賊と決めつけて斬り殺した伊藤が、最後は同じようにテロ行為で殺されてしまったのは、なんだか因縁めいたものを感じてしまうよ。
凡太: そのへんは……ぼくには難しくて、よく分かりません。うまくいかないんだなあ、ということだけはよく分かりますけど。
イシ: うまくいかないんだよ。ほんとに……。
韓国併合
イシ: 結局、伊藤の暗殺は韓国併合を加速させるだけだった。
暗殺翌年の1910年8月、「
韓国併合に関する条約(日韓併合条約)」が公布された。第一条には「韓国皇帝陛下は、韓国全部に関する一切の統治権を完全且つ永久に日本国皇帝陛下に譲渡す」とあって、第二条では「日本国皇帝陛下は、前条に掲げたる譲渡を受諾し、且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」とある。
凡太: 皇帝が皇帝に国を譲渡する? 私の国をあげますよ、ということですか。
イシ: そう。向こうの皇帝があげますよというので、もらうことにした、という書き方だね。そういうことにしないと、日本が保護国だった韓国を力尽くでぶんどったということになってしまい、国際法上まずいからだ。
実は「併合」という言葉も、条文原案を作成した前外務次官の倉知鉄吉がこのときに発明したものだったそうだよ。
それまでは「合邦」「合併」という言葉しかなかったんだけれど、これだと日韓両国が対等に一緒になったという意味にとられかねない。あくまでも韓国という国はなくなって、大日本帝国の領土の一部になるのだという意味を持たせたかったけれど、語調が強くなりすぎると反発があるだろうから、「併合」という言葉を創り出した、ということらしい。こういうところ、まさに今も日本の官僚に受け継がれている感じだよね。
この条約は公布当日まで韓国内はもちろん、日本国内でも秘密にされていた。暴動が起きて、条約成立に支障をきたすといけないからだね。抜き打ちでやった。
この条約の内容において、韓国側は「韓国」という国号と、皇帝の地位と称号には最後までこだわった。日本は韓国という国号は認めず「朝鮮」と呼ぶことにし、皇帝純宗には退位後、「王殿下」という称号を与えるということで押しきった。王族の称号なんてどうでもいいから適当な名称をつければいいけれど、あくまでも「皇帝」ではないし、国を治める者ではない、ということははっきりさせたかった。
そんなこんなで、とにかく韓国は日本に完全「併合」された。
従来の韓国総督府は朝鮮総督府として、漢城から京城と名称変更された現在のソウル市に設置され、初代総督にはすでに朝鮮統監として在任していた陸軍大将(陸軍大臣兼務)の寺内正毅が任命された。
凡太: 伊藤さんが韓国人によって殺されたことで弾みがついたんですね。
イシ: そうだね。伊藤という重しが外れたことを内心喜ぶ政府内勢力もいただろうね。これで徹底的に朝鮮を日本のものにできる、と。
とにかく、日露戦争で手に入れた朝鮮、関東州、満鉄は、その後の日本の運命に大きく関わってくる。その後の展開や、今もなお朝鮮や中国の人たちに日本嫌悪の深い意識があることを考えれば、この頃の朝鮮と満州は日本にとって毒饅頭だったと、私は思っているよ。毒饅頭というよりは覚醒剤に近いかもしれない。最初から手を出さず、大陸のことは大陸の人たちに委ねていればどういう歴史になっていたのか……。
こんなことを言うと激怒する人たちがたくさんいることは分かっているけれど、歴史を学ぶということは、ありのままの事実を冷静に分析し、そこから得た知識や知恵を今の自分たちの生き方に生かすことだ。
これから先、日本は次々にまずい選択をし、最後は焼け野原になってしまう。なぜそんなことになっていったのかという背景を、しっかり見ていかないとね。
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ISBN978-4-910117-54-6
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『真・日本史(2) -幕末史「戊申クーデター」の実相- テロリストと欧米エリートが壊した「維新」』
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1. テロリストたちが作った幕末史
日本崩壊序曲は水戸藩から始まった/幕末史の重要人物まとめ/優秀な人材はほとんど明治前に消された/幕末のテロ事件一覧/幕末日本に関わった外国人たち
2. 戊申クーデターまでの経緯
生麦事件と薩英戦争が大きな転換点だった/倒幕のキーマンは久光とパークス/西郷らにも影響を与えたサトウの「英国策論」/公武合体派の奮闘と挫折/長州藩唯一の良心・長井雅楽の無念/久光が動く/松平春嶽、横井小楠の悲運/「まともな維新」を不可能にさせた人たち/孝明天皇という最大の障壁/禁門の変という愚挙/中途半端すぎた長州征討/小栗忠順、栗本鋤雲、赤松小三郎らの無念/孝明天皇は暗殺されたのか?/坂本龍馬の実像/「大政奉還」「王政復古」の真実/江戸で大規模テロを起こした西郷隆盛の大罪
3. 戊辰戦争は日本史の恥
「国造りという仕事」を放棄して逃げた徳川慶喜/江戸「無血」開城の裏側/上野戦争の無残/シュネル兄弟と東北諸藩/「ジャパン・パンチ」から読み取る諸外国の動向/庶民が見た幕末を伝える「風刺錦絵」/奥羽列藩同盟結成までの経緯/恩賞原資としての東北侵攻/白石会議による東北諸藩の自衛団結/世良修蔵暗殺で始まった東北戊辰戦争/北越戦争の裏でも動いていたサトウ/東北戊辰戦争の悲惨と理不尽/東軍はなぜ負けたのか/「白虎隊の悲劇」をより正確に知る/二本松藩の悲劇/裏切り・離反の連鎖と庄内藩の孤軍奮闘/最後はイギリスがとどめを刺した/テロリズムと武力が作った明治政府
ISBN978-4-910117-55-3
A5判・162ページ
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