馬鹿が作った明治(15) 

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ポーツマス条約という「成功」を理解できなかった日本国民

イシ: 日本とロシアの講和交渉は1905年8月に開かれた。
 ロシアの全権大使はセルゲイ・ウィッテ。鉄道会社勤務から政界に転身した人で、蔵相就任後にシベリア鉄道建設に取り組んで成功させたやり手だ。日清戦争後も、皇帝についたばかりのニコライ2世に、日本に遼東半島を放棄させることが重要だと進言して三国干渉に導いている。

セルゲイ・ユリエヴィチ・ウィッテ (1849-1915)
ロシア帝国運輸通信大臣~大蔵大臣~大臣委員会議長を歴任後、初のロシア帝国首相(閣僚会議議長)。ロシア初の憲法である「ロシア帝国国家基本法」の草案にも関わる。金本位制採用やシベリア鉄道敷設など、ロシアの工業化に貢献した他、対清国、日本の外交でも活躍。日露戦争開戦前には、国内の飢饉対策が優先だとして、非戦を強く主張し、反対派によって失脚させられた。

凡太: ウィッテさんは、当初、日本との戦争には反対だったんですか?

イシ: そう伝えられているね。ウィッテだけでなく、ウィッテの盟友とも呼ばれるラムスドルフ外相も戦争は極力避けるべきという意見で一致していた。しかし、プレーヴェ内相と激しく対立していて、プレーヴェ側がウィッテはユダヤフリーメイソンの手先だとか、いろんな誹謗中傷攻撃をして蔵相解任に追い込んだようだね。
 ウィッテが左遷させられたことで、ロシアとはなんとか協調路線でいけないかと苦心していた伊藤博文や松方正義もショックを受けた。
 そんなウィッテが、最後は講和交渉に担ぎ出されるんだから、皮肉だね。
 ウィッテはアメリカに着くなりすぐに記者会見を開いて、集まった新聞記者らにユーモアもまじえた巧みな話術でPRした。そういうところが凄腕だね。
 一方、日本の全権は小村寿太郎になったんだけど、桂首相は本当は伊藤博文を全権にしたかった。なぜなら、交渉の前から、日本にとっていい条件でまとまるとは思えず、国民が納得しないと分かっていたからだ。実績のある伊藤なら交渉術も長けているし、誰もが認める政界の重鎮だから、どんな結果になっても国民世論を緩和させられるのではないかという期待からだね。
 伊藤もそのつもりになっていたんだが、伊藤の周囲が「そんな損な役回りを引き受けることはない」と猛反対して、結局は辞退し、小村が選ばれた。

凡太: 小村さん、またまたやっかいで損な役を押しつけられたんですね。なんだか同情しちゃいます。

イシ: まさに中間管理職の辛さだねえ。
 で、交渉が始まると、案の定ロシアは強硬姿勢で、ロシアは小さな戦闘に敗れただけで、日本軍はロシア本土に到達もしていない。そちらがその気ならまだまだ戦争を続けますよ、と言ってきた。ロシアとしても本音としては戦争は切り上げて、国内問題などに集中したいところだっただろうが、実際、戦争を継続できる余力があるのはロシアのほうだったから、日本としてはギリギリのところでまとめるしかない。
 アメリカは調停役として、なんとしてでも講和に持ち込んで、以後、アメリカの国際的地位を確固たるものにしたいという思惑があった。
 結果、戦勝国と敗戦国というよりは、両者痛み分けみたいな内容で妥結した。

  1. ロシアは日本の朝鮮半島における優越権を認め、日本が韓国を指導・監督することを認める
  2. 日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満洲から撤退する
  3. ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する
  4. ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する
  5. ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する
  6. ロシアは沿海州沿岸での日本の漁業権を認める


凡太: 賠償金は取れなかったんですね。

イシ: そうだね。小村は樺太全土の領有に加えて賠償金も要求するつもりだったが、ルーズベルトがそれをたしなめた。
 日本国内でも、情勢を知る者たちは、当初から賠償金を取るのは難しいと理解していた。児玉源太郎は、日本が掲げた12項目の要求の中に賠償金も入っていることを知って「桂の馬鹿が償金をとる気になっている」と呆れていたそうだ。
 だけど、七博士意見書を主導した戸水寛人などは、「最低でも償金30億円、樺太・カムチャッカ半島・沿海州全部の割譲は当然」と主張し、新聞もまたこうした論を大々的に掲げて国民を煽った。
 それが、結果は賠償金はゼロ。樺太は北半分はロシアのものと認め、日本は軍を引き上げるというものだったから、憲政本党の河野広中は講和条件の内容に反対する「講和問題同志連合会」を結成し、各地で講和に反対する国民大会を開催。条約調印前日の9月4日には条約破棄の上奏書を提出。翌5日に日比谷公園で国民大会を計画した。
 これを知った警察が公園を封鎖。集まった群衆が警察隊と衝突して公園に乱入。さらには政府高官の邸宅や政府系とされる国民新聞社などを襲撃、交番や電車を焼き打ちするなどの大暴動になった(日比谷焼打事件)。
 河野の煽動の様子を、当時14歳だった北村銀太郎少年(新宿末廣亭の席亭、建築家。落語界の「大旦那」「ご意見番」として崇敬された)は、後にこう語っている。
河野広中が昼間、馬に乗って来ちゃ、扇動するわけなんだよ。「来たれ、来たれ、集まっていっせいに卑屈醜辱(しゅうじょく)なる講和条約に対する不満の声を九重(ここのえ)の天に上げよ。聖明かならず赤子の至情(しじょう)(りょう)としたまふであらう」ってね。馬のいななきの中からボンボン、彼の声が飛んで来る。すると、みんな、もっともだ、もっともだって……。(略)河野広中の扇動の仕方が、またやけに恰好いいんだよ。「血あるもの、涙あるもの、骨あるもの、鉄心あるもの、義を知るもの、恥を知るもの」って呼びかけて来る。これで人の心をつかんぢゃふ。(北村銀太郎・談。冨田均『聞書き・寄席末広亭一代』少年社、1981)
……という感じだったらしい。
 私が河野や板垣退助ら、自由民権運動のリーダーとされている人物を評価できないのは、まさにこういうところだよ。
 暴徒と化した民衆はニコライ堂にも迫って焼き払おうとしたが、近衛兵らがギリギリのところで食い止めた。

凡太: ニコライ堂はなんで焼き討ちの標的になったんですか?

イシ: ニコライ堂は日本正教会の教会で、ニコライ堂は通称なんだけれど、日本に正教会の教えを伝えたロシア人修道司祭・聖ニコライに由来するからだ。とばっちりもいいところなんだけれどね。
 さらにはアメリカも講和を仲介したということで恨まれ、アメリカ公使館や、アメリカ人牧師の働くキリスト教会も襲撃された。
 暴動が激化したので、政府は翌9月6日に東京に戒厳令を布いた。この騒動による死者は17名。負傷者500名以上。検挙者は2000名以上になった。暴動は東京の外にも波及して、9月7日には神戸で、12日には横浜でも暴動が起きた。
 講和条約を結んだ全権大使の小村寿太郎は、締結直後の9月9日に心労と病気のために倒れてしまった。帰国前に、自宅が襲撃され、家族が殺害されたとも聞いていた小村は、横浜港に着いた船に入って出迎えた長男に「おまえ、生きておったか」と、驚いた顔で対面したという。伊藤博文も小村を出迎えてねぎらいの言葉をかけたが、庶民からは「さっさと腹を切れ」などと罵声を浴びせられたそうだ。

凡太: ポーツマス条約の内容は日本にとってそれほど屈辱的なものだったんですか?

イシ: どう思う? 賠償金は取れなかったけれど、本来の目的だったはずの朝鮮、満州での権益を確保し、山縣有朋らが常々主張していた「主権線」だけでなく「利益線」も守れたことになる。
 講和交渉をしている最中に樺太に進軍して占領したことで、樺太全土ではなかったけれど、南半分を日本に割譲させることにも成功した。これによって、南樺太には。王子製紙、富士製紙、樺太工業などのパルプ産業企業が進出していった。
 ウィッテは「日本には金も土地も一切渡さない」という覚悟で交渉に臨んでいたわけで、樺太の半分を渡すというのは最大限の譲歩だった。もしこれで日本が納得しないなら戦争継続というつもりだったんだから、南樺太の割譲は日本にとっては幸運なオマケみたいなものだった。
 そもそも日本は、「金がほしくて戦争をするわけじゃない。国の安全と貿易の門戸開放を守るための戦いなのだ」という対外アピールをしていた。それに沿った結果は得られたことになるよね。政府首脳陣もそのへんのことは十分分かっていた。でも、それを国民に説明すると、日本はそこまでギリギリだったのかとロシアに知られてしまい、つけこまれるかもしれない。

凡太: 戦争で失ったものは大きいですよね。日清戦争のときよりずっと死者も出たし、お金も使ってしまったわけでしょう?

イシ: そういうことだね。日清戦争と比較してみるとよく分かる。

死傷者数
 日清戦争:戦死者・977人、負傷者・3335人
 日露戦争:戦死者・55655人(約57倍)、負傷者14万4352人(約43倍)

戦費
 日清戦争:約2億7000万円  日露戦争:約20億円(約7.4倍)

日露戦争の死傷者数は突出している (国立公文書館アジア歴史資料センター より)


凡太: 当時は人口も少なかったから、5万5000人亡くなって、14万人以上が負傷したという数字は大変な数字ですよね。

イシ: 当時の日本の総人口はおよそ4700万人かな。今の日本の人口は1億2000万人強だから、今なら3倍近いインパクトになるだろうね。
 それだけの成年男子がたった1年半の間に戦争に取られて死んでしまった。莫大な金が戦争に使われて、庶民の暮らしは困窮した。その代償として「金や海外の領土が入らなかったから怒る」というのはどうなんだ、と思わざるをえないよ。

凡太: 紡績会社社長の谷口さんでしたっけ。「戦争というのは貿易を進めたくてするものなのだから、できることならなんとか平和に話をまとめてもらいたい」という言葉を思い出します。これだけの人命と国費を使って、日本は貿易の面でもプラスになることがあったんですか。

イシ: いい質問だね! 外務省調査部が昭和11(1936)年にまとめた『日清戦争ヨリ満州事変ニ至ル日本外交ノ経済的得失』という研究報告書(未定稿。外務省外交史料館所蔵)がある。昭和11年といえば太平洋戦争が始まる5年前だ。満州事変の4年後で日本はすでに満州国を建国していて、2年後に日中戦争を始めてしまうという時期。
 この報告書によれば、日本は1894年の日清戦争から1932年の満州国建国までの38年間に、58.2億円使って20.5億円を得たというんだね。

凡太: 30億円近い「赤字」じゃないですか。

イシ: そういうことになるね。だからこの報告書では、
「日清戦争以来の領土的膨張政策の成果は経済的見地からはまったくお話にならない損をしている」「58億円の費用を支出した者は一般納税者であり、21万人の戦傷死者を出したのは忠実なるわが国民であり、この莫大な犠牲によって20億円の利潤を得たのは植民地貿易及び投資に関係する少数の商工業者であった」
……と総括している。

凡太: 戦前の外務省で、そんな報告書をまとめた人がいたんですね。ビックリです。

イシ: まともな官僚なら、当時の日本がどれだけ貧乏くじを引かされてきたかをちゃんと理解していたんだね。なんと馬鹿なことをしているのか、と。それでも歴史は馬鹿な道を突き進んでしまう。
 こうした史実から学ばなければならないのは、政治というものは勝ち負けだの面子だのではなく、冷徹に「実利」と「安定」を計算して行わなければいけない、ということだよ。
 欧米列強はこれができた。アメリカは仲介役を引き受けることで、中国進出に後れをとったことを挽回できると踏んでいた。すでに中国を実質上分割統治していたイギリスやフランスに対して「清国に支配領域など作らず、平等に貿易できるように門戸開放しよう」というのがアメリカの立場だったからね。それと、アメリカはこのときフィリピンを手に入れた直後だったから、日本に恩を売ることでフィリピン統治を安定化できるという計算もあった。
 ロシアの勢力拡大を阻止したかったイギリスは、日本をロシアと戦わせることでロシアの南下を防ぎ、バルチック艦隊壊滅という予想外のごちそうまで手に入れた。
 しかもアメリカもイギリスも、国力を減らすどころか、日本に戦費を貸し付けたことで、この戦争で実質「商売」もできた。
 日本だけが莫大な国費を消耗させられ、働き盛りの国民を失うという大貧乏くじを引き受けさせられた、というのが日露戦争の実相じゃないのかな。
イギリスにけしかけられ、アメリカはさらにその背後でほくそ笑む。(ビゴーの風刺画)

 ところが、日本ではマスメディアはひたすら戦争を煽り、庶民は「戦争に勝ったのに戦利品がショボすぎる」といって暴れた。大学教授や知識人たちまでが戦争をしろと主張した。
 太平洋戦争での国が滅亡しかねないほどの敗戦の後でも、小説家は日本海海戦の勝利をドラマチックに描いて、当時世界に名だたるロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに打ちのめした日本海軍はこんなに凄かったんだと美化し、読者たちを興奮させた。
 戦争を知るということはそんなことじゃない。どこそこの戦いで誰それが英雄になったとかよりも、その戦争でどれだけの犠牲が出て、その犠牲のおかげでどれだけの不幸が防げたのか、という分析こそが重要なんだ。
 この報告書に書いてある通り、「日清戦争以来の領土的膨張政策の成果は、経済的見地からもまったくお話にならない損をした」というのが厳然たる史実なんじゃないかな。経済的損失だけでなく、人命や国民の生活が犠牲になった。

 では、日露戦争をしなかった場合はどうなっていたか。
 ロシアは満州に居座り、勢力を固めたかもしれない。朝鮮や中国での利権もさらに増やしたかもしれない。でも、その延長で日本本土にまで攻め入ってきて日本を支配下に置くなんてことが起きただろうか?
 ヨーロッパではこの後、第一次世界大戦が起き、ロシアでは革命が起きて帝政ロシアが崩壊する。そうした大変動時代を日本は、島国であるという特質を生かして柳に風のような外交でうまくすり抜けながら国力を温存し、近代化をさらに進めていくという路線もあったんじゃないか。
 歴史にIFは意味がないなんてよく言うけれど、それは詭弁だな。常にIFがあって、その選択をうまくやっていけたかどうかの結果が歴史なんだ。
 私は単純に戦争は悪だとか言いたいわけじゃない。馬鹿な戦争をしたがる馬鹿は政治や教育の場からは退場しろ、と言いたいんだ。
 日露戦争の勝ったんだか負けたんだか分からないという結果は、その後の日本にいい影響を及ぼしたとは思えない。多大な国費とマンパワーという大切な国力を失った一方で、大国ロシアの軍隊を打ち負かしたという自信だけは「この屈辱は絶対に晴らしてやるぞ」みたいな歪曲した形で残り、その後の対外政策をどんどん誤らせていったんじゃないかな。
 そのへんのことは、これから検証していこう。

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