馬鹿が作った明治(07)

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西南戦争の実相


イシ: さて、西南戦争の話に移るわけだけれど、多くの人はこの戦いを、不平士族が西郷隆盛を担いで九州で起こした反乱を明治政府軍が抑え込んだ戦いだと解釈していると思う。

凡太: 違うんですか?

イシ: まあ、そうなんだけれど、そんなに簡単に片づけられる出来事ではないということを最初に強調しておきたいんだ。
 この内乱での戦死者は、政府軍が6403人、西郷軍が6765人と記録されていて、合わせて1万3000人以上。これは戊辰戦争の戦死者数約8400人(西軍約3600人、東軍約4800人といわれている)より多い。
 ちなみに日清戦争での死者は1万3000人あまりとされているんだけれど、そのほとんどが病死(1万1894人)で、銃撃を受けたりして死んだ「戦死者」は1417人、変死177人といわれている(『日本の戦争 図解とデータ』桑田悦 原書房 1982年)から、それよりも多い。
 使われた銃弾は政府軍だけで約3500万発で、西郷軍兵士一人を殺すためにおよそ5000発撃った計算になる。まさに「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」で、どれだけ派手に撃ちまくったのかということだね。
 政府軍の弾薬は、多くがイギリスからの輸入だったらしいということが、琉球大学の研究者チームによる、残された銃弾の鉛成分解析調査で判明している。イギリスの武器商人がどれだけ儲けたことか。
 実際、国家予算が4800万円のときに、政府は4100万円をこの戦争に注ぎ込んでいる

凡太: 思っていたのと全然違う規模です。国家予算の9割近くを注ぎ込んだ戦争だったんですね。

イシ: 異常だろう? そこまで徹底して西郷軍を叩きつぶさねばならなかったのはなぜなのか? いくつかの視点から見ていこう。

 まずは一般的に認識されている「士族の不満が爆発した」という見方。
 政府は明治9(1876)年3月に廃刀令、同年8月に金禄公債証書発行条例(俸禄支給の廃止)を発布して、士族の象徴と特権の両方を剥奪した。これに怒った士族が、同年10月に熊本県で「神風連の乱」、福岡県で「秋月の乱」、山口県で「萩の乱」と、立て続けに武力闘争に出た。これが西南戦争の呼び水になったことは間違いない。
 ただ、このときに西郷はまだ温泉に浸かりながら「愉快愉快」と見ていただけで、動こうとはしていない。

凡太: えっと……西郷さんは温泉に入っているだけじゃなくて、私学校を作って士族の教育をしていたんですよね。

イシ: そうそう。言い方がまずかったね。
 西郷は政府に嫌気が指して鹿児島に戻ってからは、兵学校のようなものを作って旧士族たちの受け皿にしていた。ゆくゆくは海外に派兵できるような強い軍隊を作りたいという思いからだったといわれている。ただ、それは西郷を追い出したような形になっている明治政府にとっては穏やかじゃないことだよね。
 西郷のカリスマ性は大変なものだったから、鹿児島県令・大山綱良(つなよし)なども味方につけて、鹿児島はどんどん独立国のようになっていった。

 明治9(1876)年、内務卿・大久保利通は、木戸孝允を中心とする長州派に押しきられる形で「鹿児島県政改革案」を受諾。翌、明治10(1877)年1月には、西郷の私学校の内部偵察のために24名の警察官を「帰郷」と称して鹿児島へ送り込んだ。
 命じたのは大久保の右腕と呼ばれた初代大警視(現在の警視総監に相当)・川路利良(としよし)。川路は西郷らが下野したときも、「(同じ薩摩の人間として)まことに忍びないが、国家行政の活動は一日として休むことは許されない。大義の前には私情を捨ててあくまで警察に献身する」と表明し、大久保と共に政府側を代表することを表明している。

川路利良(1834-1879)
薩摩藩士。鳥羽・伏見の戦いでは薩摩官軍大隊長として出征。明治4(1871)年、西郷の招きで政府入り。邏卒総長に就任し、司法省の西欧視察団(8人)の一員として欧州各国の警察を視察。帰国後、フランスの警察制度を模して日本の警察制度を確立。西南戦争では政府軍の陸軍少将を兼任、警視隊で組織された別働第三旅団の長として九州を転戦。
西南戦争後の明治11(1878)年3月、同じ薩摩閥の黒田清隆が酔って妻を斬り殺したという噂が流れたときは、妻の墓を掘り返し、病死であると確認したと発表。明治12年、再び欧州の警察を視察中に病気になり、帰国後に死去。没年満45歳。

 鹿児島には、当時、陸・海軍省の武器・弾薬庫がいくつかあった。これは明治政府の管理下にあるわけだけれど、薩摩士族は「自分たちの武器弾薬」だと思っている。
 政府はこれを危険視し、明治10(1877)年1月、鹿児島にあった陸軍省弾薬庫から、銃、弾薬、弾薬製造設備などをごっそり運び出し、船に載せて大阪へ搬出した。これが西南戦争の直接の引き金になったんだ。
 西郷のもとに集まっている士族らは、藩政時代からの備蓄である武器を政府が盗んだとして怒り狂い、他の陸・海軍の弾薬庫を襲って武器類を奪取した。
 さらには、川路によって送り込まれた警察官らを拷問したところ「ボウズヲシサツセヨ」という電報が見つかった。これを「西郷暗殺計画」と受け取った西郷門下生らは決起を訴え、西郷もついには担ぎ出される形になった。

凡太: ボウズというのは西郷さんのことですか? 西郷を刺し殺せという意味の電報?

イシ: これはよく分からないんだよね。「視察」つまり、しっかり見張れという意味かもしれないし、そもそもその電報なるものもあったのかどうか。しかし、政府から密偵が送り込まれたことと、その密偵らが捕らえられて拷問されたことは間違いない。大久保 vs 西郷の怨念渦巻くドロドロの戦いが切って落とされたという感じだね。

凡太: 同じ薩摩の仲間同士だったのに。

イシ: 西郷は自殺願望も窺える屈折した武闘派。大久保は知略と根回しで勝負する西洋志向の業師。征韓論を巡る対立だけでなく、所詮は水と油だったのかもしれないね。
 そんなわけで、西南戦争は、政府に残った大久保と、鹿児島に戻って政府に対抗しようとした西郷の私怨戦争という見方もできる。
 大久保としては、これは絶対に失敗するわけにはいかない戦いだった。大久保だけでなく、長州閥の木戸や、政府の中枢にいた岩倉や大隈、伊藤にしても、西郷をつぶせば全国の不平士族も黙るだろうという思いがあったはずだ。だからこそ、国家予算の9割近い金を注ぎ込んででも徹底的にやった。

凡太: かつての仲間同士が殺し合う……たまりませんね。

イシ: 鹿児島県令の大山綱良も、戦闘終結後に処刑されているしね。彼がいなければ、政府軍の指揮官として西郷軍と戦った大山巌、西郷の弟の西郷従道、「土木県令」として知られる三島通庸らは、みんな寺田屋騒動のときに島津久光の命令によって斬られていたはずだ。そういう仲間を戦いの後に斬首するんだよ。まったくやりきれないね。
 薩長同盟の際の薩摩側からの出席者の一人で、明治以降は西郷と共に鹿児島藩権大参事となった桂久武も、西郷を見送りに行った際に気が変わって自らも従軍し、戦死している。
大山綱良(1825-1877)
薩摩藩士。島津久光の上洛に随行し、文久2(1862)年の寺田屋騒動では過激派藩士の粛清に加わった。大山巌、西郷従道、三島通庸らを説得し、投降させた。戊辰戦争では世良修蔵と共に奥羽鎮撫総督府の下参謀。
明治になって、廃藩置県後に鹿児島県の大参事、県令となるが、西南戦争時に西郷を援助したため逮捕され、斬首刑に。没年満51歳。

桂久武(1830-1877) 薩摩藩士。慶応元(1865)年に薩摩藩家老に就任。西郷の武力討幕を支持。明治新政府では西郷とともに鹿児島藩権大参事。都城県参事。西南戦争には慎重な姿勢だったが、西郷を見送りに行った際に翻意し、家人に刀を取りに帰らせ、そのまま従軍。銃弾を受けて戦死。没年満47歳。

 この私怨戦争というのが第二のポイント。そして第三のポイントは、兵器を巡るイギリスとの関係だ。
 特に注目すべきなのが、政府軍の制式銃でもあるスナイドル銃という単発後装式銃(弾を一発ずつ銃の後部に込めて撃つ方式)だ。この銃はそれまでの先込め式の銃に比べると圧倒的に有利なんだけれど、その弾を作る製造機械は鹿児島にしかなかった。弾がなければ役に立たないわけで、政府としてはなんとしてもこれを鹿児島から外に持ちだしておきたかったんだね。
 ところが、製造設備の運び出しには成功したものの、パーツが不足していたりして、すぐには弾薬製造ができなかった。そこで政府はイギリス製のスナイドル銃銃弾を大量に買い込んで投入した。これがなければ政府軍の物量作戦は不可能だっただろう。
 スナイドル銃は西郷軍も持っていたが、政府によって鹿児島の武器庫からスナイドル銃を含む大量の兵器、弾薬を持ち去られたために数が足りなくなり、別の火薬庫や造船局から奪った旧式の先込め式銃も使わなければならなくなった。それによって両軍の銃の性能差と弾薬の量の差が出てきて決着がついた、という見方がある。

スナイドル銃 写真下は銃弾、銃弾の断面、弾込部分

凡太: この銃のおかげで、日本の国費がごっそりイギリスに流れたんですね。

イシ: そういうことだね。戊辰戦争に続いて、またしても日本の内乱で外国の武器商人が儲けたわけだ。
 命を落とした兵士は、政府軍のほうは徴兵で集めた兵隊なわけで、庶民の金と命が西郷と大久保の私怨戦争によって失われた、ともいえるんじゃないかな。
 しかし、庶民、特に現場から遠く離れていた江戸市民などは、この戦争の実相がよく分からないから、爛れきった明治政府に対して英雄・西郷隆盛がついに決起して懲らしめようとしている、というドラマ仕立てで見ていたふしがある。新聞や戦争を描いた錦絵がバンバン売れた。一種の高揚感を与えてくれる娯楽という一面もあったのかもしれない。現場となった九州各地では地獄絵図が展開されたのに、それは伝わってこない。

 西南戦争というのはこうしたいくつもの意味合いを持っている、ということを覚えておきたいね。
 これ以降、日本の軍事が大きく変わっていく。刀で斬り合う戦争は完全に終わり、最新式の兵器で訓練されれば、士族以外の者でも戦えるということが証明された。となると、政府はいかに一般庶民を兵隊に仕立て上げられるかということを考える。法制度の面でも、精神教育の面でも。

 政府内の権力争いの図も変わった。
 木戸が西南戦争中に病死したため、大久保の天下となるんだけれど、西南戦争で消えてしまった巨額の国費をやりくりするために、府県議会を作り、地方税を制定したところで、大久保は元加賀藩士6人に襲われ、殺されてしまう。
 残ったのは、長州の伊藤博文、井上馨、山縣有朋、薩摩の黒田清隆、西郷従道、大山巌、肥前の大隈重信、そして公家の岩倉具視、といったところ。彼らが新たな権力闘争を繰り広げる。
 これに五代友厚や渋沢栄一、岩崎弥太郎といった政商たちも絡んで明治の歴史が刻まれていくわけだけれど、それはまた次に譲ろう。


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