馬鹿が作った日本史(36)

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戊申戦争の裏で欧米列強はどう動いたか


イシ: 江戸城が引き渡された後も、各地で戦闘は続いた。
 教科書や歴史書では「新政府軍」と「旧幕府軍」の戦いとして表記しているけれど、薩長によるクーデターはまだ「政府」の体をなしていないし、東北諸藩は幕府に従うというよりは、理不尽なイジメにあっている会津藩をなんとか救いたい、このまま薩長の横暴を放っておいたら自分たちも会津のようになってしまうという恐れからの自衛のための連合という性格が強いと思うから、単に西軍、東軍と呼ぶことにするよ。
 アメリカの南北戦争みたいに、国を二つに分けた戦いになってしまったわけだけれど、アメリカの南北戦争は終結して、大量に余った武器が国際的な商人たちの手で日本に売りさばかれ、日本の「東西戦争」を激化させた。なんとも皮肉だな。
凡太: 局地的に西軍への反撃が起きても、大きな影響はないみたいですね。

イシ: 慶喜が完全に降参しているからねえ。命令系統がバラバラなわけで、一体何を守るために戦うのかも分からなくなっている。もはやどうしようもない。

上野戦争

 こうした局地戦の中でも、西軍勝利を日本中に印象づけたのが上野戦争だった。
 5月14日(1868年7月3日)、東征大総督府(参謀・西郷隆盛)は、本拠地を本願寺から上野の寛永寺に移した旧幕府軍抗戦派による彰義隊を壊滅させることを決定。
 寛永寺には徳川家の位牌や宝物があることから、幕臣の服部常純、大久保一翁、山岡鉄舟らはそれらを避難させるまで待ってほしいと願い出ると同時に、和宮を通して朝廷との折衝に当たっていた田安徳川家当主・田安慶頼も彰義隊の解散説得などを試みたが間に合わず、翌15日、西軍側が総攻撃を開始した。
 指揮を執ったのは長州の大村益次郎。この人がまた超武闘派で、うまく恭順・解散させられないかとする薩摩の海江田信義と激しく対立し、西郷が仲裁に入る場面もあった。
 結局、大村の武力殲滅が通り、上野に立て籠もっていた彰義隊は、西軍のアームストロング砲などの最新兵器で徹底的に砲撃され、1日で壊滅。上野一帯は焼け野原となってしまった(上野戦争)。
 彰義隊側の戦死者は、徳川家の菩提寺である増上寺などが遺体の引き取りと供養を申し出ても認められず、しばらく野ざらしのままだったそうだ。そうしたことからも、大村ら長州の私怨による皆殺し作戦であったことを窺わせるね。
 この砲撃のために、江戸城内の宝物を売り払って巨額の兵器購入費用に充てたり、幕府がアメリカから購入契約をしていたもののアメリカが引き渡しを保留していた軍艦ストーンウォール号の購入費用分をそっくり武器弾薬購入費に充てたりして、とてつもない戦闘費用がかかった。
 そのことに対しても、薩摩の海江田は激しく大村と対立した。

凡太: 大村益二郎という人は、やることが極端なんですね。

イシ: 明治になってからも国民皆兵制や軍学校の創設などを主張して、「帝国陸軍の祖」なんて呼ばれている。陸軍の祖と呼ばれる人物としては、同じ長州の山縣有朋のほうが知られているけれど、明治以降、長州閥の陸軍と薩摩閥の海軍がことごとく対立して、効率の悪い運営を続けたことの予兆が、すでにこのときにあったと見ることができるね。

シュネル兄弟と東北諸藩

 いずれにしても、大村のような武力一辺倒の人間のおかげで武器がバンバン売れて、海外の武器商人たちは笑いが止まらなかっただろう。

凡太: 武器商人というと、グラバーですか?

イシ: グラバーは儲けた筆頭だけれど、グラバーだけじゃなかった。
 例えば、プロイセン(後のドイツ)出身のシュネル兄弟は長岡藩や庄内藩と深い関係を持って、武器を売っている。

凡太: シュネル兄弟? 初めて聞きました。どんな人たちですか?

イシ: 兄がハインリッヒ(英語読みでヘンリーとも)・シュネル(スネル)、弟がエドワルト・シュネルというんだけど、当初は横浜の外国人居留地の外れに小さな牧場を作って、牛乳や牛肉を売っていたらしい。
 その後、兄のハインリッヒが初代プロイセン駐日領事のマックス・フォン・ブラントに、弟はスイス使節団の書記官としてそれぞれ雇われた。

シュネル兄弟(ハインリッヒ=左/エドワルト=右)
生没年の詳細不明。父の仕事の関係でオランダ領インドネシアで育ち、十代後半のとき、開港直後の横浜に来て商売を始める。1867(慶応3)年7月15日には兄弟で江戸を馬車で走行中、沼田藩士に襲われるが、兄がピストルで反撃し無傷で切りぬけた。戊辰東北戦争では、上海や香港から武器弾薬を密輸入し、奥羽越列藩同盟に売りさばいた。
明治以降、兄は日本人妻おようを含む会津若松の人々約40人を連れて米国に移住。サンフランシスコの北東を開拓し、「若松コロニー」と命名したが、日本から持ち込んだ茶や稲が育たず、コロニーの経営は行き詰まる。1871年に、金策のため日本に戻ったとされるが、その後の消息は不明。日本で暗殺されたという説もある。
弟は新潟から東京へ移って商売を再開。しかし、明治15(1882)年以降の消息は不明。

 新潟の開港が決まると、兄弟は新潟に移住。弟は越後長岡藩家老・河井継之助の仲介で会津藩家老・梶原平馬にライフル銃780挺と2万ドル相当の弾薬を売り、河井もミニエー銃などの元込め式の銃を数百挺購入した。
 河井はそれとは別に、横浜で商売をしていたスイスのファーブル・ブラント商会から、ガトリング砲を2門購入している。
 このガトリング砲というのはアメリカで開発された最新式の連射機銃で、毎分200発撃てる。当時の日本に3門しかなかったうちの2門が長岡藩に渡ったといわれている。
1865年製のガトリング砲 (Wikiより)
 ハインリッヒは慶応4(1868)年に会津を訪問。藩主の松平容保はハインリッヒに平松武兵衛の名を与え、屋敷も提供した。列藩同盟の軍事顧問にもなっている。

凡太: イギリスが薩長を応援して、フランスが徳川を応援して、プロイセンは東北諸藩を応援した、というわけですか?

イシ: まあ、そこまで単純ではないけれど、この時代、すでに世界は国単位での覇権とは別に、商売人たちが牛耳る国際資本社会に変わってきていたということかな。
 ノーベル兄弟とロスチャイルド家のことはすでに学んだよね。ノーベル兄弟の父親イマヌエル・ノーベル(1801-72)は爆発物や兵器製造でクリミア戦争(1853–1856)で大儲けしている。その子供たちとロスチャイルド家が組んで、石油と武器製造で巨額の富を築いていくというのが19世紀欧米の歴史だ。

 ちなみに、上野戦争で彰義隊をたった1日で壊滅させたアームストロング砲の開発者はイギリスのウィリアム・アームストロング(初代アームストロング男爵)という人物で、彼もまたクリミア戦争がきっかけで軍事産業に関わるようになった。
 彼が設立したW.G.アームストロング社は、その後、合併・吸収などを繰り返し、最終的にはロスチャイルド家の傘下に入っている。

 それと、シュネル兄弟が東北諸藩に武器を売っていた背景にはプロイセンの駐日領事マックス・フォン・ブラントがいる。
 当時のプロイセンはヨーロッパの新興国で、首相は「鉄血宰相(Eiserne Kanzler)」の異名を持つプロイセン王国首相のオットー・フォン・ビスマルク。ビスマルクは自国をイギリス、フランスと肩を並べるような地位に引き上げようとしていた。そのためにはすでに大方食い尽くされている東南アジアよりも、日本のようなまだ手のつけられていない国での利権がほしい。
 その意を汲んで、ブラントは蝦夷地(北海道)に目をつけた。蝦夷地は徳川の直轄領で、会津や庄内などの東北諸藩が分割して管理していた。これから起きる東北戦争で東北諸藩に恩を売っておけば、西軍を撤退させた後に蝦夷地の権益を手に入れられるのではないか、と。そこで、ガトリング砲などの高価な武器を、代金の一部を信用貸しのような形で売りつける作戦を展開したんだ。シュネル兄弟はそのために動いた。

凡太: 西軍にはグラバー、東軍にはシュネル兄弟がついていたんですね。

「ジャパン・パンチ」から読み取るプロイセンとイタリアの動向

イシ: そういうことだね。
 イギリスのチャールズ・ワーグマンという画家が幕末の日本を描いた「ジャパン・パンチ」という風刺画本があるんだけれど、そこにも当時の日本を巡る諸外国の思惑がいろいろ描かれている。
1878年7月号の表紙 (Wikiより)



Ministerial tight rope dancing Extraordinary(公使たちの政治綱渡りショー こりゃすごい)と題した風刺画

 この絵では、綱渡りをしている二人が、MIKADO(朝廷軍)とREBEL(反乱軍)のどちらにつけばいいか迷っているアメリカとオランダだろう。そのそばで、我関せずを装いながらしっかり朝廷軍(薩長)についているのがイギリス。菊の紋章の錦の御旗が見えるね。
 頭に火がついている三つ葵の紋をつけた蝋燭みたいなのは会津藩だね。絵蝋燭は会津の名産品で、風刺画では会津の象徴としてよく描かれている。それを援助しようと手を差し伸べるのがプロイセンとイタリアだろう。(画像は青羽古書店 より、以下同)


「ライバルのオルガン弾きたち」

 これは、イギリス(左)、イタリア(中央)、プロイセン(右)が、それぞれに手回しオルガン(大型のオルゴールのようなもの)を下げてプロパガンダ合戦している図だ。
 イギリスのオルガンには菊の御紋があって、イギリスが朝廷側であることを表している。
 それに対して、プロイセンとイタリアのオルガンには葵の御紋が入っている。

 イギリスの吹き出しにはローマ字で「あれは朝敵、征伐せよと、錦の御旗は知らないが、トコトンやれ、トンヤレと」と書いてある。薩長軍が偽官軍であることを知っているイギリスが戦を煽っている、ということだろう。


 右のドイツ語の吹き出しは「Wir wollen ihn nicht haben den jungen Mikado. Sie sollen ihn lieber begraben in sein Kleinen Kioto.(私たちは若い天皇を望んでいない。むしろ彼をちっぽけな京都に埋葬すべきだ)」とある。
イタリア語の吹き出しは「Sul campo della gloria noi pugnerem insieme  Si si la morte a lu Niigata(栄光の場で我々は共に戦うぞ。ええ、ええ、新潟で死にましょうぞ)」とある。

 オルガンには当時横浜で販売合戦を繰り広げていた欧文新聞3紙の名前も入っている。
 イギリスのオルガンには「JAPAN HERALD」の文字。
 ジャパン・ヘラルドは文久元(1861)年にイギリス人貿易商ハンサードが創刊した英字新聞で、先駈け的存在。
 プロイセンのオルガンには「JAPAN TIMES」、その後ろをついて歩くイタリアのオルガンには「JAPAN GAZETTE」の文字が見える。
 ジャパンタイムズ(The Japan Times)は、西インド中央銀行の横浜支店支配人・リッカービィ(C.D. Rickerby)が不偏不党を謳って慶応元(1865)年9月に創刊。アーネスト・サトウの無記名論文を掲載したことでも有名だ。
 ジャパン・ガゼット(The Japan Gazette)は、当初はヘラルドの編集責任者だったスコットランド出身のJ.R.ブラックが慶応3(1867)年10月、オランダ商人の協力の下でヘラルドに対抗して創刊した夕刊紙。
 これらの新聞は翻訳された日本語版もあり、日本人読者も獲得していたそうだ。
 この風刺画は各国の朝廷(実質は薩長)、幕府への対応と、横浜での欧文新聞の競争を絡めたのだろう。新聞に関してはヘラルドが先発で、タイムズが2番手、ガゼットが最後発というだけで、特にどの新聞が朝廷寄り、幕府寄りということではないんじゃないかな。 (参考:「幕末・明治期の欧字新聞と外国人ジャーナリト」 鈴木雄雅 『コミュニケーション研究』第21号、1991年掲載)

凡太: イギリスが薩長のクーデターを後押しして、フランスはぎりぎりまで幕府を応援していたんですよね。イタリアというのは今まで出てきていなかったと思いますけど……。

イシ: うん。完全に出遅れている。
 他の欧米列強と異なり、イタリア王国は1861年に、今のイタリアとフランスにまたがって存在していたサルデーニャ王国を中心に統一された新興国だ。
 当時のヨーロッパでは、蚕が「微粒子病」という伝染病にかかり、絹産業が壊滅的な被害を受けていた。その救世主となったのが、日本からもたらされた蚕卵紙(さんらんし)(無数の蚕種が産み付けられた厚紙)で、イタリアとしても、何がなんでも蚕卵紙の輸入を促進させたかったんだけど、日本では政情が不安定でなかなか条約が結べない。密輸に頼るしかなかった。
絹生産地に派遣された帝国委員が現地の蚕を厳しく審査して報告書を出さなければいけなくなった、という風刺画
ポケットに報告書の書類を入れた役人が真剣なまなざしで蚕を覗き込んでいる

 出遅れたイタリアも、ようやく慶応2(1866)年にイタリア海軍の軍艦で使節団を送り込み、幕府と「日伊修好通商条約」を結んだ。これにはフランスも仲介役として労を執った。

凡太: 慶応2年というと、第二次長州征討とかやっていたときですよね。

イシ: そうそう。これから徳川政権が一気に崩れていくというタイミングだね。
 幕府としては新しい国との条約締結どころじゃなかった。だから、プロイセンと結んでいた内容とほぼ同じで締結したんだけれど、それだと神奈川、長崎、函館の3港でしか貿易できない。イタリアとしては大坂の開市と兵庫・新潟の開港をぜひとも含ませたいところだったんだが、日本国内のゴタゴタを見て、とりあえずそれは断念した。
 幕末のイタリアの動向については未だによく分かっていないことが多いんだけれど、この風刺画ではプロイセンに追従して薩長側と対立する立場のように読めるね。
 東北列藩同盟が西軍を食い止めて新潟を開港すれば、一刻も早い自由貿易を望んでいたイタリアにとっても都合がよかったことは想像できる。実際そうだったのかどうかは分からないけれど、とにかく欧米諸国がそれぞれに日本における利権を巡って動いていたことは確かだ。

北越戦争の裏でも動いていたサトウ

 北からはロシアが蝦夷を狙っていた。

「北の熊(ロシア)と日本の蜂蜜」と題されたジャパン・パンチ掲載の風刺画 「The bees don't see beyond their cells.(ハチたち=日本は、自分たちの巣(蝦夷地)の向こう側を見ていない)というキャプション付き



「ロシアの蜘蛛は喜んでいる!!!」という風刺画では、東北戦争をほくそ笑むロシアを、巣を張って獲物を待つ蜘蛛に例えている。

 蝦夷地を狙うプロイセンやロシアをなんとしても止めたかったのがイギリスで、アーネスト・サトウは、西郷らに新潟港に軍艦を派遣して海上封鎖せよと要求した
 新潟から東北諸藩に武器が流れ込んでくると東北戦争が長引き、プロイセンやロシアがつけいるチャンスが増えるからだ。
 当初、西郷らは新潟開港を求める諸外国を刺激することを恐れ、新潟港封鎖には消極的だったんだけれど、サトウは「安全を守るための海上封鎖は国際法上も認められている」と説得し、西軍の新潟進軍を主張した。
 それに従って、西軍は新潟港を開城封鎖した上で、電撃上陸作戦を決行した。
 東北戦争では最後まで中立を保とうとしていた長岡藩だったが、ここでついに決戦となる。長岡藩は河井継之助が購入したガトリング砲、アームストロング砲、エンフィールド銃などで応戦したけれど力尽き、河井も負傷した傷がもとで死んでしまった。
河井継之助(1827-1868)

越後長岡藩士。20代半ばで江戸に出て、斎藤拙堂や佐久間象山に学ぶ。その後は藩政に批判的な意見を述べ続けて遠ざけられるが、慶応元(1865)年、藩の軍奉行に任命された後は農政改革、灌漑工事、兵制改革など藩政改革に着手し成功する。
大政奉還後は上洛し、藩主名代として徳川擁護の建白書を提出するが無視される。鳥羽伏見の戦いで慶喜が江戸に逃げ戻ったことを知ると江戸に行き、藩主らを先に長岡へ帰させた後、江戸藩邸を家宝ごと処分・売却し、その金で相場が暴落した米を買って箱館へ運んで売るなどしてひたすら軍資金を増やした。その金でシュネル兄弟などからアームストロング砲、ガトリング砲、エンフィールド銃、スナイドル銃、シャープス銃などの最新兵器を購入した後、海路長岡へ戻って西軍の到来に備えた。
西軍が越後に迫ると、西軍の土佐藩士・岩村精一郎(高俊)と小千谷で和睦のための協議をする。河井は長岡藩の中立を宣言した上で、会津藩を説得するので時間をくれと訴えた。当時、岩村はまだ23歳で、41歳の河村とは親子ほどの年の差があった。そこで河村は、北陸道先鋒総督府参謀である山縣有朋か黒田清隆と直接話をさせてほしいと求めたが、岩村はこうした申し出をすべて一蹴。その結果、西軍の進軍で戦闘状態となる。河井が率いる長岡軍は圧倒的に兵が少ないにも関わらず最新兵器で互角に戦い、一旦奪われた長岡城を奪還した。しかし、同時に藩内で発生した百姓一揆の鎮圧などに力を削がれ、河井も負傷したことで形勢が一気に崩れて敗走。8月17日夜、河井は負傷した傷を悪化させて塩沢(福島県只見町)で死亡。没年満41歳。

凡太: ここでも惜しい人が死んでしまったんですね。

イシ: ほんとにね。財政や農政にも力を発揮できた人だけに、本当に惜しいね。
 河井は長岡藩という小藩で、中立・独立、富国強兵という、今の北欧のような路線を目指したのだろうけれど、理想と現実のギャップはあまりにも大きかった。
ここでも超一級の策士サトウがいたイギリスが裏で勝利したということだろうねえ。


錦の御旗を持った勝利の女神(頭上に菊の御紋)と、敗れた東北諸藩、東北に武器を売っていたプロシアなどの図(土の上に散らばる火の消えた蝋燭?や旗に「NAMBU」「SHONAI」「SENDAI」などの文字が読める)

 東北戦争については、また回を改めて見ていくことにしよう。


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