「人間史」を見つめ直す(25)

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幕末のテロ事件一覧


凡太: 明治新政府の主要メンバーの多くはテロリスト出身? ほんとですか?

イシモリ:  本当だよ。ちゃんと記録が文書で残っている。
 ではまず、一体どれだけのテロが起きていたのか。はっきりした文献や資料が残っているものだけを拾い上げてみるよ。学校ではあまり教えたがらないことだろうから、ここでしっかり頭に入れておこう。

安政6(1859)年:
安政7(1860)年:
万延元(1860)年:
文久元(1861)年~文久3(1863)年:
元治元(1864)年~慶応3(1867)年

慶応4(1868)年(戊申クーデター後)
土佐藩士時代の後藤象二郎


パークス襲撃に使われた日本刀と英女王から贈られたサーベル


凡太: たくさんあったんですね。攘夷を叫ぶ浪人や藩士が外国人を襲えば襲うほど、日本の立場が弱くなっていくのが皮肉ですね。最後はイギリス公使を警護した土佐と薩摩の武士がイギリス女王からサーベルをもらったりしてて……。

イシ: ざっと振り返るだけでも、とっても残念な気持ちになるね。
 ただ、ここにあげたのは外国人へのテロ行為だけだね。もっとひどいのは、一般庶民も含む日本人に対してのテロ行為だよ。

凡太: そんなこともしてたんですか?

イシ: テロによる被害者の数からいえば、日本人が日本人を殺した数のほうがはるかに多い。
 幕末には「天誅(てんちゅう)」という言葉のもと、殺人稼業を請け負うような連中が次々に要人暗殺を行っていた。
 有名なところでは「幕末の四大人斬り」として知られる、田中新兵衛(薩摩)、河上彦斎(熊本)、岡田以蔵(土佐)、中村半次郎(薩摩)。
 この手の「○大ナントカ」というのは疑ってかかる必要があるけれどね。

 岡田以蔵は実際に相当な人数を斬り殺していて、そこにはほとんど思想的なものも窺えない。依頼されて斬るという、完全な殺し屋。

 河上彦斎は尊皇攘夷の思想にかぶれていて、佐幕派が実権を握っていた熊本藩内では投獄され、牢から出たのはクーデターが終わってからだから、その間は何もしてない。ただ、佐久間象山を斬ったということで有名になっているフシがある。
 明治になってからは、自分と同じように攘夷を叫んでいた木戸孝允(桂小五郎)や三条実美の変心ぶりを追及したことで危険人物とされ、明治4(1871)年1月に日本橋小伝馬町の処刑場で斬首となっている。明治政府の上層部にすわり、欧米、特にイギリスべったりになった攘夷派テロリストたちに裏切られて殺された形だね。

 薩摩の中村半次郎は同じ薩摩藩で自分の師匠でもある赤松小三郎を暗殺している。赤松はオランダ人やイギリス人に語学や兵学を学び、開国して国力を上げなければいけないという建白書を幕府や島津久光、松平春嶽に送っている。そうした開明的な思想が中村には受け入れられなかった。自ら学ぼうとせず、師を殺してしまうとはねえ。
 最後は西郷隆盛と行動を共にして、西南戦争で戦死している。

 薩摩の田中新兵衛は土佐勤王党党首の武市半平太と意気投合して、義兄弟の契りを結んでいる。岡田以蔵らとも徒党を組んで、人斬り集団として多くの暗殺を実行した。
 田中は、宮中の過激攘夷派最右翼と見られていた姉小路公知(あねがこうじきんとも)を暗殺した「朔平門外(猿ヶ辻)の変」の実行犯とされ捕縛されたが、隙を見て自害している。
 攘夷派の薩摩藩士が攘夷派の公家をなぜ殺したのかと思うかもしれないけれど、この頃の宮中と薩摩、長州、土佐あたりの関係はものすごく複雑でね。宮中では、通商条約を破棄して問答無用で攘夷を実行しろと主張する破約攘夷論の過激派と、徳川も含めた諸藩と天皇家が協力して対外政策を強化させていくべきと考える公武合体派の対立が激化していた
 姉小路公知は過激派から公武合体派に変わろうとしていたので、破約攘夷派の公家である滋野井公寿、西四辻公業らが黒幕だという説もある。

 いずれにしても、井伊直弼暗殺後は、都合の悪い人間は殺してしまえというテロが頻発して、京都は一気に治安の悪い暗黒都市のようになってしまった
 特に高瀬川の東側沿いの木屋町通(きやまちどおり)あたりは「天誅」を叫んで敵対勢力を殺しまくる「テロ通り」みたいになっていた。
 文久2(1862)年に関白九条家の側近・島田正辰が行水中に襲われて殺され、首を鴨川に晒されたテロを皮切りに、九条家家臣・宇郷重国(うごうしげくに)、幕府のスパイだと疑われた越後浪士の本間精一郎らが次々に斬殺された。
 京都奉行所の岡っ引き文吉は岡田以蔵に拉致され、「斬っては刀が穢れる」と、細引で絞め殺された上、全裸にされて、竹の棒を肛門から頭まで貫通させ、杭に縛り付けた状態で三条河原に晒されたという。
 儒学者・池内大学は、大阪に立ち寄った山内容堂に招かれて深夜まで話し合った後、籠で帰宅したところを、自宅前で待ち伏せしていた数人に斬り殺された。それだけでなく、テロリストらは、大学の耳を切り取り、当時、奏請を天皇に取り次ぐ「伝奏」を務めていた三条実愛、中山忠能の屋敷に辞職を求める脅迫文と一緒に投げ入れた。この二人は後に岩倉具視と一緒に倒幕の勅許を偽造した公卿で、脅しをかけて言うことを聞かせやすいようにしたのかもしれない。
 公卿の千種有文に仕えた賀川肇は自宅を襲撃されて殺された。和宮降嫁に協力したことを恨まれてのことらしい。腕を切り落とされ、その腕は他の公武合体派の家に投げ込まれ、首は一橋慶喜の宿所に攘夷を早くしろという脅迫文と共に投げ入れられた。

凡太: ……あ、なんか気分が悪くなってきました……吐きそうです。

イシ: ごめんごめん。ただ、これは一例で、京都では「天誅」と称するテロ事件が、記録に残っているだけでも160件以上起きている。
 幕府に協力的だったという理由で、多くの商家に押し入り、略奪、放火、虐殺も行った。それがエスカレートすると、ただ単に殺した数で箔をつける目的で無差別殺人を重ねる者もいた。

凡太: 京都の住民は生きた心地がしなかったでしょうね。

イシ: そうだね。異国が攻めてくるなんていう話より、目の前で殺人鬼と化した男たちが暴虐の限りをするほうがはるかに怖ろしい。
 そうしたテロリスト集団を率いていた首領格には、土佐勤王党や薩摩藩士も混じっていたけれど、吉田松陰や久坂玄瑞に感化された長州藩士たちが多かった。
 長州藩が英仏蘭米の列強4国の艦船に砲撃して始まった下関戦争の後、高杉晋作らによって藩士以外の浪人・庶民らも組み入れた「奇兵隊」のような傭兵部隊が組織されたんだけれど、元犯罪者や逃亡中の犯罪者なども多数含まれていて、武士道もなにもあったものではないような狼藉を働いた。
 そんな状況で京都守護職を押しつけられた会津の松平容保は、本当に気の毒だった。家臣の中には「これで会津藩は終わった」と絶望する者もいたそうだよ。

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