「人間史」を見つめ直す(4)

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出雲王朝と邪馬台国


日本列島に殺し合いが持ち込まれたのはいつか

イシモリ: さて、縄文時代を学ぶ上でいちばん重要なのは、1万年以上もの長きにわたって種族間の戦争がなかったらしい、つまり、平和な時代が1万年も続いていたということだと言ったね。
 では、殺し合いが始まったのはいつからだと思う?

凡太: 弥生時代からですか?

イシ: うん……そっか、まずはその弥生時代とはなんぞや、ということから考えたほうがよさそうだね。
 私が子どもの頃は、縄文時代の後に弥生時代があって……みたいに教わったんだけど、今はそう単純な時系列ではないと考えられているね。縄文時代が完全に終わって弥生時代が始まったわけじゃない
 縄文も弥生も出土した土器にちなんでつけられた名称だけど、縄文が土器の文様に縄目が使われていたということでつけられたのに対して、弥生というのは発見された町の名前だね。明治17(1884)年に今の東京都文京区の弥生町で発見されたというんだけど、なんか名付け方がおかしいよね。無紋薄手土器とかいうならまだ意味が通るけれどさ。
 で、一般には、大陸から伝わってきた水耕稲作によって生活様式が大きく変わったと教わるわけだけど、稲作自体は縄文時代から一部では行われていたらしいということが今では分かっている。
 稲作が伝わって、米という形で食料が貯蔵できるようになり、それによって貧富の差ができて、身分の違いとか、食料という「富」を奪い合う争いが起きて……といった説明がされるんだけれど、私はその説明には全面的には頷けないのだよね。

凡太: どのへんが納得できないんですか?

イシ: 稲作によって主食が貯蔵できるようになったというのは確かに大変な生活の変化だけれど、それだけなら、今までのように、みんなで共同作業して、米を分け合って暮らしていけばいいじゃない。
 稲作だけが争いの原因とは言えないと思うよ。やはり、大陸から思想や世界観、価値観の違う人種が入り込んできて、それまで日本列島に暮らしていた人たちを蔑視し、支配下に置こうとしたことが最大の問題でしょ。
 だから、弥生時代と称している時代以降の日本の激変ぶりを理解するには、まずはそのこと……大陸からの渡来人たちのことをしっかり知る必要がある。

歴史から消された出雲王朝

凡太: 渡来人? 中国や朝鮮半島から渡って来た人たちのことですか?

イシ: そうだね。これも簡単な話じゃない。いくつかのグループが時期を前後して渡って来ている。
 まずは出雲族というグループ。
 これは、出雲、今の島根県あたりを中心に、元からいた先住民と一緒になって地方国家のようなものを形成したグループ。「出雲王朝」と呼ばれているけれど、この王朝のことは、後に列島を征服する大和朝廷によって存在そのものを歴史から消し去られたような形になってしまった。
 かつては出雲「王朝」なんて言おうものなら、歴史学界からは鼻で笑われたらしい。なぜなら学界全体が大和朝廷以降のいわゆる「大和史観」「皇国史観」に支配されていたから。出雲なんて、あったとしてもちっぽけな地方村落みたいなものだろう、とね。
 ところが、昭和59(1984)年の松江市岡田山古墳から「額田部臣(ぬかたべのおみ)」という文字が刻まれた太刀が発見されたのを皮切りに、西出雲の荒神谷(こうじんだに)遺跡から大量の銅剣、銅矛、銅鐸が発掘されたことなどで、一気に注目を集めた。
 今では弥生時代に出雲王朝と呼べる地方国家が存在していたことは多くの学者が認めている。もっと古く、縄文時代晩期にはすでに存在していたという説もあるんだよね。

凡太: 出雲族……ですか……。どんな人たちだったんでしょう。

イシ: これまた複雑でね、出雲王朝を構成していた民族は大きく三層に分かれるらしい。
 まず、古くは縄文時代早期からの縄文人。つまり、アイヌも含む自然崇拝的文化を形成してきた人々。これは日本列島全般にいたわけだけれど、たまたま出雲地方に住んでいたということだね。言うまでもなく、出雲の地でも縄文文化は1万年以上営まれていた。

 次が、後からそこに入ってきた開放的な南方系の漁労生活をしていた民族。海の民だね。

凡太: 海の民……魚民(うおたみ)ですか。

イシ: そうそう! 魚民というくらいで、酒が好きでどんちゃん騒ぎをよくやって……あ、これは冗談。半分くらい当たっているかもしれないけど。
 最後は朝鮮半島、新羅(しらぎ)から渡ってきた渡来人。進んだ技術を持っていたインテリ層とでもいうかな。
 これらの人々が混じり合って、西日本一帯に影響を与える一大地方国家を形成していたようなんだ。

凡太: その人たちの間では争いはなかったんですか?

イシ: はっきりは分からないけれど、大きな争いはなかったようだね。もちろん、小競り合いみたいなのはあっただろうけど、凄惨な殺し合いとかにはならなかった。
 だからこそ、西日本の広い範囲で、原住民たちにも受け入れられていった。その結果、水耕稲作や青銅器の製造といった渡来文化もしっかり浸透していった。
 これが日本列島に誕生した最初の国家的組織なんじゃないかな。

邪馬台国は熊本にあった

凡太: 邪馬台国じゃなくて、出雲ですか?

イシ: ああ、邪馬台国はね、今でも諸説入り乱れて論争の的になるけれど、時期的にはもう少し後だと思うよ。
 中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻、いわゆる「魏志倭人伝」に邪馬台国の記述がかなり詳細に載っているから有名になったんだね。日本の古代史では文献というものがないから、中国の歴史書に記されていることで歴史学者たちが飛びついて、様々な説を唱えるようになった。
 ただ、三国志は呉の滅亡後の3世紀末に書かれているわけで、出雲王朝よりは少し後だと思うよ。
 邪馬台国は、倭人(わじん)と呼ばれる人たちが九州一帯に形成した地方国家群の一つだったようだね。

凡太: 倭人……ですか。どんな人たちでしょう?

イシ: 中国の江南(揚子江以南)地域にという国があった。「呉越同舟」の呉だね。呉は紀元前473年に滅ぼされるんだけれど、呉の王族を中心とした支配層の人たちが船に乗って九州に渡ってきた
 呉の人たちというのは、人種的には当時の日本原住民に近い南方系モンゴロイドだったらしい。それで、九州にできつつあった地方国家を支配して、倭人というグループを形成していった、という説がある。
 そうした倭人部族の地方国家の一つが「()」で、これが有名な志賀島(しかのしま)で出土した「漢委奴国王印」の「奴」だというんだ。
「漢委奴国王印」 Wikiより
 邪馬台国もそうした倭人の地方国家の一つで、場所は今の熊本。北九州でも大和でもない、という説が、私としてはいちばんしっくりきている。

凡太: 邪馬台国の場所は北九州でも大和地方でもなくて、熊本なんですか? 僕が教わったのとはちょっと違うような……。

イシ: 三国志(『魏書』)には、今の韓国・ソウルあたりから邪馬台国に至るまでの旅程が細かく記されている。日数や距離は信用できないとしても、方角はそうそうデタラメは書かないだろう? それによれば、北九州に上陸した後は、ひたすら南へ南へと下っているんだよね。だから、北九州ではないし、ましてや大和ということはない。邪馬台国=大和説というのは、多分に大和朝廷史観によって歪曲されているんじゃないかな。

凡太: 南九州ですか~。

イシ: 倭人たちの地方国家は多数あって、邪馬台国はそのトップの地位にあったようだね。もともとは列島原住民の一つであるクマビトが作っていた国だったところに倭人が入ってきて、朝貢、つまり中国の皇帝に貢ぎ物を捧げて、自分たちはあなたの支配下にありますと認める方向に持っていったんじゃないかな。
 倭人については三国志の『魏書』や、その後に書かれた隋書の「倭国伝」なんかに記述があるんだけれど、「倭の水人は大人も子供も男子はみな入れ墨をし、水に潜って魚を捕る。入れ墨は害を及ぼす魚を追い払うため」といった興味深い説明がある。他にも、身分の低い者が身分の高い者にもの申すときは、うずくまって跪く、という、いわゆる土下座のようなことをしていたという記述や、仲間が死ぬと、葬式の後に海に入って汚れを祓う、といった記述も見うけられる。
 倭人の「倭」という字は中国では「身を折り曲げて従順に従う」というような意味を持っていて、まさに大陸にいる皇帝の配下にある、ということらしい。
 現代日本人にも伝わっている土下座や清めの塩といった風習は、倭人から受け継いでいるのかもしれないね。

凡太: なんだか卑屈な感じで嫌だなあ。

イシ: そうだね。中国の史書だから、自分たちの優位性を示すために多少歪曲しているのかもしれないけれど、ここで注目すべきことは、倭人の社会にはすでにはっきりとした身分格差があったということだよ。
 1万年を超える縄文時代には、身分の格差はなかったと考えられているから、ここに来てそういうものが生じているというのは極めて重要な分岐点だってことだ。
 さらには、倭人の集落間では、この頃かなり大規模な戦闘が繰り広げられていた。
 邪馬台国はもともと男子を王とする地方国家で、建国後7、80年経っていたところ、2世紀後半頃に倭国全体の中で内乱が起きて、卑弥呼という女王を立ててようやく収まった、というようなことも三国志(『魏書』)には書かれている。
 つまり戦争が起きたわけだよ。
 ここに来て、身分格差や戦争というものが日本列島の中で生まれたと考えていいんじゃないかな。
 弥生時代というものを考えるとき、いちばん重要な点はそこだよ。

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