「人間史」を見つめ直す(2)

縄文時代を再確認する


イシモリ: さてと、どうやって始めようかな。
 古代とか中世とかはすっ飛ばして、近現代史から始めようかとも思ったんだけど、やはり時代順のほうがいいかと思い直したんで、縄文時代のことから始めてみようか。

凡太: はい。

イシ: 学校の日本史でも、大体そのへんから始めるだろ?
 で、縄文時代については最近でも新しい発見や学説がどんどん出てきて、私が学校で習ったときとはかなり違ってきているかもしれない。
 まず、縄文時代って、いつ頃のことだっけ?

凡太: 学校では、約1万6000年前くらいから始まって、約2000年とか3000年前くらいまで続いたと教わりました。違うんですか?

イシ: いや、学者がそう言っているんなら、そのあたりでいいんじゃないかな。2000年前と3000年前では1000年も違うけど、そんなことはどうでもいいんだ。定義の問題だからね。
 そんなことより、ここで我々がまず認識しなきゃいけないのは、とんでもなく長い時間だってことだよね。
 平安時代から今までがざっと1200年なわけで、その10倍くらいの時間をずっと「縄文時代」と言っているわけだよね。なかなか想像がつかないような長さだな。
 日本人が電気というものを初めて知ったのが明治15(1882)年くらい。それから140年経って、今はみんなスマホを毎日見ている。この期間のざっと100倍の時間が流れていたわけだよね。

凡太: そうですねえ。その1万年以上の間、人はほとんど変わらない生活をしていたわけですよね。狩猟採集生活というか……。

イシ: そういうこと。この縄文時代という呼び方は日本だけのもので、世界的には新石器時代に入るのかな。
 石器時代は単純に石を割って石器を作っていた旧石器時代と、石を磨いて仕上げていた新石器時代に分けられるらしいけど、旧石器時代というのは200万年くらいあったらしい。
 そもそも日本列島は、大昔はユーラシア大陸の一部で、島ではなかった。それがだんだん分離していったわけだけど、最後に宗谷海峡が水没して北海道が分離したのがおよそ1万2000年くらい前だと言われているね。

 で、ここでいちばん重要なことは、日本では縄文時代と呼ばれている1万年ちょっとの間、戦争や殺し合いはほとんどなかったらしい、ってことなんだな。
 富の蓄積とか階級格差なんてものもなかった。なんとなく人が集まって集落を作り、その集落の中では自分の子とか他人の子とかも関係なく、大人はみんなで子供たちの面倒をみて、とってきた食料は分け合っていた。そういう争いのない時代が1万年以上続いたようだよ。

凡太: すごいことですね、それって。

イシ: すごいというか、その時代はそれが普通のことだったんだろうね。
 もちろん個人間で妬みとか、愛憎のもつれとか、そういうのは今と同じようにあっただろうけれど、組織的な殺し合いはなかった、と。
 なぜだと思う?

凡太: え? なぜって言われても……そういう温和な人たちだったってことですか? あ! まだ農耕文化が発達していなくて、富を蓄えるという発想がなかったから?

イシ: うん。学校ではそんな風に教えたと思うんだけど、私はそれだけじゃないと思ってるんだ。
 世界観、というか、死生観から来ているんじゃないかな。

凡太: 死生観?

イシ: そう。彼らの寿命は当然今の私たちよりずっと短かったはずだよね。生まれてすぐに死ぬ赤ん坊もたくさんいただろうし、難産で命を落とす母親も多かっただろう。運よく大人になれても、怪我をしたり、病気になったりする危険は常にある。
 凡太は人間の死体をどのくらい見たことがある?

凡太: ええっ! なんですか、それ。……えっと、おじいちゃんの葬式で一度……。

イシ: 棺桶の中にきれいに収められていたのを見た?

凡太: ……はい。

イシ: 昔の人たちはそうじゃなかった。死は日常的なものだったからね。今まで一緒に暮らしていた仲間が死んで、その死体を葬ったり、あるいはどこかで死んだ人間の死体を鳥や獣が食うのを見たりしていたはずだよね。
 そういう生活の中で培われる死生観は、現代人とはだいぶ違う。現代人の多くは家でさえ死なない。病院で死んで、身内が呼ばれたときはきれいに棺桶に収められていたりするからね。
 縄文人たちは、殺し合いなどしなくても、人は死ぬものだということを物心着いた頃から実際に目にして、あるいは触って、感触として知っているわけだよ。
 そんな人生の中で、縄文人たちは自分の肉体だけを見つめていたわけじゃないと思うんだ。
 毎日目にする動植物たちの命の不思議、空に浮かぶ太陽や月、星、雲の不思議、あらゆる自然の営みに比べたら、自分たちの肉体なんてちっぽけで、壊れやすくて、たまたま授かったものにすぎない
 彼らは限られた人生を楽しむことを知っていただろうし、現代人よりずっとこの世界の神秘や自分たちの存在の謎について思いをはせる時間があったんじゃないかな。
 世界は「物」だけでできているわけじゃない。目に見えないものが支配している……と。

凡太: 霊的なもの、ってことですか? スピリチュアルの世界……。

イシ: まあ、呼び方はなんでもいいけれど、唯物主義ではなかったと思うんだよ。だからこそ、集団による殺し合いはなかった。
 そんなことにエネルギーを使うのは馬鹿らしい、もっと楽しいこと、自分の内的な力を試せることに集中したい
 縄文土器や土偶はその象徴だと思うよ。

凡太: 縄文土器……あれ、すごいですよね。僕なんか、とても作れると思えないですもの。

イシ: だろ? 言葉で説明できない価値を秘めている。そういう価値を追求できることこそ、自分たちがこの世界に人間として生まれてきたことの最大の喜びだと思っていたんじゃないかな。

 そんなわけで、私がここで言いたいのは、縄文時代がいつからいつまでだという定義とか、そんなことじゃなくて、縄文人の精神世界を想像してみることが、私たち現代人にとっていちばん大切な「歴史の勉強」なんじゃないか、ってことだよ。


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