そして私も石になった(23)


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目覚めと眠り


 Nの言葉に出てきた「祈り」という言葉には、ある種の優しさが感じられた。
 俺は素直な気持ちでこう訊いた。
「そろそろ教えてくれないか。あんたらは一体何者なんだ? 神ではない。人間やGのような生物でもない。確か肉体を持っていないと言っていたような気がするが」

 Nは穏やかなトーンで答えた。
<そうだね。きみたちが言う「肉体」は持っていない。でも、きみたちがイメージする霊魂とか魂とか意識といった、形を持たないものとも違う。我々は「形」は持っている>

「ということは、それこそ山とか樹木とか石とか、そういうものか? 俺たちの先祖が、神が宿っていると感じたもの……」

<おお、そうだね。まさにそうだ。
 我々は動物のような肉体は持っていない。だからきみたちのように動いたり、ものに触れて感触を味わったり、食べたり飲んだりして美味いとか不味いと感じることはない。ただ、そうした感触、感覚が存在することを知っているし、それがどんなものかを想像することもできる。
 また、この物質世界を見渡すことができる。目という肉体の一部を使って見るのとは違うから、正確には「見渡す」という表現も違うのかもしれないが、物質世界を俯瞰したり、一部をクローズアップして観察したりすることができる。
 他の生物の精神に入り込むことはできないが、距離を超えて音声や文字によらないコミュニケーションもできる。今きみとこうして会話しているようにね。
 そんなふうに、動けないということと引き替えに与えられた能力がたくさんある。そこはきみたち人間やGのような生物とはまったく違うところだ。でも「形」は持っているという点では、きみたちと同じように量子の集合体であり、物質世界から完全に切り離された存在にはなっていない。

 きみは極小の物質世界である量子の世界に興味を抱き、物理学者から話を聞いていたね。そこで、個々の量子がまるで意識を持っているかのような不思議な動きをするという話を聞いたはずだ。
 量子は人が見ているか見ていないかで挙動を変えるとか、同時刻にいろいろな場所に存在できてしまうといった、人間が知っている物理法則や常識では説明できないことが起きている、と。
 我々は、そうした「量子の世界」と物質世界を超えた「神の領域」を結ぶ世界の生物、とでもいえばいいのかな>

「え? 全然分からないな。そもそも量子のことが理解できないのだから、それと神の領域を結ぶなんてことを言われても、ますます分からない」

 そこでNは黙り込んだ。
 俺とNの会話が始まってからいちばん長い沈黙が流れた。
 俺は辛抱強くNの次の言葉を待った。

 どれくらいの時間が経ったのだろう。Nはようやくまた話し始めた。

<きみの目の前には、板が破れて穴が空いた床があるね>

 俺は視線を穴の空いた床に向けた。
「ああ、ある。修理すべきかどうか迷っている」

<その穴から床下を覗いてごらん>

 Nに促されるまま、俺は破れた床に顔を近づけ、床下を覗いた。
 冷気がかすかに伝わってくるその暗闇の中を見つめ続けると、少しずつ目が暗さに慣れてきた。
 古い木造校舎の床下はベタ基礎にはなっていない。乾いた土が平らに広がっているが、穴の真下には、石の一部が露出していた。
 ほとんど埋まっていて、土から出ている部分はわずかだが、掘り起こせば人の頭くらいはありそうだった。
 石の表面は艶があり、長い時間かけて磨かれたようだった。河原で見るような石だ。

 そのとき、俺の頭の中でNの声が響いた。

「今きみが見ているが私だよ」

 俺は驚いて言葉を失った。
 からかわれているのだろうか?
 いや、Nの言葉には曇りがない。俺を納得させる力を持っている。

 ということは、俺は今までこの「石」と会話していたのか?

 困惑している俺の頭の中で、Nは言葉を続けた。

<私の意識は、今きみが見ているその石を構成している無数の量子と融合している。つまり具体的な「形」を持っている。
 私の仲間たちもまた、何らかの形を持っている。形あるものとして、今はこの地球上に存在している。
 石が精神を持ち、人間と話をするなんていうのはファンタジーだと思うだろうが、これは現実だ。
 その「現実」が、きみたち人間の常識から外れているというだけだ。
 無理矢理説明すれば、意識を形成するためには量子が必要だが、その量子が形成する物体は必ずしも脳のような「生体」である必要はない、ということだ。
 形を持つという点で我々はきみたちと同じ物質世界に存在している「生物」だが、生物の概念がきみたちのような地球型生物、あるいはGのような生物とは違うということだね>

「ということは、昔の人間が山や樹木や石に神が宿っていると考えたのは、間違ってはいなかったということか?」

<ある意味そうかもしれないね。昔の人たちは、同じ地球上に存在する生物として、我々の存在をそんなふうに感じとっていたのかもしれない。
 実は人間以外の地球型生物はみんな、そうした感覚を持ち合わせている。ただ、ネズミやキリンにはその感覚をきみたち人間に伝える術がないし、きみたち人間も彼らが持っている感覚を知ることができない。
 人間は機械文明を発達させるにつれ、その感覚をどんどん失っていった。Gにいたってはもうすっかり失っている。だから、Gは我々の存在を知らない。
 人間はまだ、巨石にしめ縄をつけて祈るような感性を完全には失っていない分、我々のそばにいる、ともいえるかな>

「あんたらはいつから地球にいるんだ?」

<それはよく分からない。意識が目覚めたときはすでに地球にいたし、私は石だったよ。
 きみたちが、自分が生まれた瞬間のことを覚えていないように、我々も自分たちがどのようにして生まれたかを覚えていない。
 きみたちが宇宙の始まりや時間の始まりをイメージできないのと同じように、我々もこの世界のすべてを把握しているわけではない。
 ただ、我々はきみたちよりも少し複雑で多層的な世界を知っている。きみたちがイメージできない量子の世界を知っている。知っているというよりも「体現している」というべきかな>

「なるほど。なんとなく分かるような気もしてきたかな。
 でも、ひとつ意地悪なことを訊くけど、もし俺がハンマーであんたという石を粉々に砕いたとしたら、あんたはどうなるんだ? 死んでしまうのか?」

<多分、死ぬことはないような気がする。石が粉々になっても、石を形成していた量子は消滅するわけじゃない。何か違う形として意識が再構築されるのかもしれないし、違う空間に移動するのかもしれない。そこまでは私もまだ経験していないのでよく分からないんだ。
 試してみるかい?>

「まさか! そんなことはしないよ」

<優しいんだな>

 Nのその言葉に、俺は思わず笑ってしまった。

<ああ、なんかホッとするよ。きみが笑うと。ああ、人間っていいなあ、って思うよ>

 Nが意外な言葉を発したので、俺も気持ちが穏やかになった。
 ここまでの会話は正直きつい内容だったが、最後は理屈を超えて軟着陸できたような気がした。

<私も歳でね。ずいぶん摩耗してきたし、惚けも進んでいる。後はもう、ときどき笑ったり、きみにちょっかいを出したように、つまらない暇つぶしをしながらこの世界を見守るだけだよ。さて、そろそろ寝るかな。
 相手をしてくれてありがとう。きみはやっぱりいいやつだ。  ……おやすみ……>

 その言葉を最後に、Nとの会話は終わった。
 俺も無性に眠くなり、その日は穴の空いた用務員室の隅に蒲団を移動して寝た。


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