そして私も石になった(18)


←前へ   目次目次   次へ⇒

緩やかな集団自殺?


 ここまできて、俺はもはやいちいち反論する気力も理由も失っていた。
 ただただ虚しさを感じるだけだ。
 黙り込んだ俺を哀れに思ったのか、Nはこう言った。

<そんなに落ち込むことはないよ。
 人が人を殺すという歴史は太古の昔から今まで、延々と続いてきた。今に始まったことじゃない。
 この計画には、殺す側と殺される側の関係が見えてこないという巧妙な仕組みがある。
 ウイルスやワクチンが引き金となって、何年か後に心臓麻痺や癌や脳卒中や免疫不全症候群で死んだとしても、自分が殺されたとは思わない。周囲で死んでいく者たちを見送るときも、病気で死んだ、寿命で死んだ、そういう運命だったと思うだろう。
 ワクチンを打った医者や看護師も、自分たちがそういう計画に使われたとは思わないから、罪の意識や後悔を感じることはない。むしろ自分は人の命を救うという職務を果たしたと信じる。その結果がこうなら仕方がないと思える。
 計画が進んで、多くの人が死んでいくとしても、爆弾を落とされたり、ガス室に送られたりして殺されるよりは抵抗や恐怖を感じない死に方だ。「病死」なのだから。
 いっぺんに死ぬ人数の多い少ないが問題なんじゃない。死ぬのは一人一人なんだからね。
 大量に病死する中に自分が入っていたら不幸だとか、そういうことにはならないだろう?
 人が死ぬことは避けられない。死はあくまでもひとりひとり……「個人」の問題だ。
 きみ自身にとっても、自分の死は、社会の問題ではなく、個人の問題なんじゃないか?
 苦痛や恐怖を味合わずに、どれだけ楽に死ねるか……それは大問題だよね。自分の問題なんだから。
 でも、他人の死に感情を移入しても、無力感を味わうだけだ>

「あんたは何を言っているんだ? そういう問題じゃないだろうが!>
 俺は初めてNに怒りを覚えた。

「人間は一人では生きていけない生き物なんだよ。感情というものもある。クラゲやキノコとは違う。
 他人の人生との関わり合いの中に幸福や不幸を感じる生き物だ。社会の中での自分の役割を感じることで、生きる気力も生まれる。ただ生まれて、楽に食べて、寝て、娯楽を消費して、苦痛なく死ねればいいとか、そういうものじゃない」
 うまく言えなかったが、そこまでを一気に吐き出した。

<うん。分かっているよ。すべて分かっているつもりだよ。
 言い方がまずかったね。

 きみは今、人間は社会の中でしか生きていけないし、感情も持っている生き物だと言ったね。
 まさにそうなんだが、だからこそ、個人がどんなに自分にとっての理想を描いても、世界を変えることはできない。動いていく社会の中で生きるしかない。
 効率的に人口を削減させるために、ウイルスやワクチンを使って、抵抗されるどころか自ら死を選ばせるような詐欺的な手法で人を殺していく計画なんて、きみにとってはとんでもない、許しがたいことだ。同じように、そんなことは絶対に許せない、あってはならない、間違っていると思う人間はたくさんいる。
 しかし、そう思っている人間が大多数であるにもかかわらず、人間の集合体である社会は大量死の方向に動いていく。
 何かおかしいんじゃないかと感じても、結局は流されてしまう。自分にとって都合のいい「常識」に従い、これでいいんだと言いきかせてしまう>

「これだけ多くの人間がいて、優秀な人間もいっぱいいて、その一人一人が真面目な生き方をしていても、そうした力は反映されないのか? 一度社会が動き始めたら誰にも止められないというのか?」

<多分、無理だろうね。歴史がそう言っている。戦争や虐殺という、はっきり目に見える手段でさえ、誰も止められず、何度も繰り返され、人間というのはそういうものだという認識がひとつの「常識」として共有されている。
 今から起きることは目に見えにくい、巧妙に仕組まれた虐殺だ。今までの虐殺とはまったく違う、手強いものだ。
 戦争や虐殺をよきことだと思っている人間はほとんどいない。大多数の人間は、この世から消すべきものだと思っている。それでもなくせない。
 しかし今度の虐殺は、大多数の人間がよかれと思って自ら進めてしまう種類のものだ。そんなものに打ち勝てると思うか?>

「これだけ情報が豊富な時代にも、誰も計画の実相を見抜けないのか?」

<見抜けない。驚くほど簡単に瞞され、従順に従ってしまうだろうね。
 人は、自分があまりよく知らない分野のことについては、他の「優秀な人間」とされている者の言動を判断材料にする。
 判断材料にされるその「優秀な人間」は、自分を「優秀な人間」だと認めてくれた業界や学界での人生を重視する。しかも、権威や地位を獲得したときは老化で脳の働きが固まってしまっていることが多い。大胆な仮説や自由な発想ができなくなっているから、今まで身につけてきた「常識」の範囲内で予定調和を図る。
 真面目な人間は、何よりも社会の「規範」を重視する。真偽がよく分からないことについては、常に現状を大きく乱さない方向を嗅ぎ取り、それに従うことが真面目な生き方だと信じている。そうして社会の変化に従って新たな「常識」が作られ、その常識に従う真面目な生き方が正しい人生だと、次の世代が教育される。
 優秀でも真面目でもない多くの人間は、同調圧力、恐怖心、差別意識、正常化バイアスといった、今まで私がくどくど説明してきたものに従って生きている。
 そういうものの集合体が人間社会だ。昔も今も変わらない。何人かの人間が「そうではない」と主張しても、黙殺されるか抹殺される。
 見方を変えれば、これは人間という生物種にとって、緩やかな集団自殺のようなものなのかもしれない。そういう「因子」が、人間という生物の中に組み込まれている。
 その因子を持っていることも「社会的生物」としての一面であり、人間社会の特質なのかもしれない>

「その説は到底認められないな。あんたらの時間感覚からすれば、俺たち人間の歴史は極めて短い歴史かもしれない。でも、人間は今まで何度も修羅場をくぐり抜け、ここまで生き延び、生活の質を向上させてきた。
 戦争や虐殺の歴史を繰り返してきたことは確かに愚かなことだし、今もそれは続いている。でも、失敗をするたびに改善されてきたことはたくさんある。さっきの優生保護思想は、今では世界中どこでも許されないことだと認識されている。つまり、俺たちの「常識」は更新され続けている。その方向性は概ねいい方向だと俺は思っている。
 あんたらの予想は悪い方向ばかり見ている」

<もちろん、我々は神ではないから、未来を完全に見通せるわけではない。
 一人一人が真剣に自分の頭で考え、言葉を発し、行動することがうまく結合していけば、社会の動きを変えていくうねりが生まれるかもしれない。その可能性は低いけれど、ゼロだとは言ってない>

「なんかもう、うんざりだな。あんたは結局何を言いたいんだ? 人間の社会は所詮くだらないものなんだから、運命に従えと言いたいのか?」

<いや、少し違う。
 私が言いたかったのは、人間とはどういう生き物なのかということを知ることで、この物質世界での生を受け入れられれば、落ち着いて死んでいけるんじゃないかということだ。
 特にきみのような人には、それを知って……いや、少しでも感じてもらえれば、人生の最後の時間を、新しい感覚に包まれて過ごせるんじゃないかと思った。  カタカムナに興味を持った森水生士と交流し、複層的な世界観を持つようになった。最近では、量子のこととか、ずいぶん興味を持って想像を膨らませていたじゃないか>

「今あんたが話してきたことと量子と何の関係があるんだ?」

<直接の関係はない。でも、量子が見せる複相の世界に比べれば、人間が見えている単相のこの物質世界は、個々の肉体に縛られた単純すぎる世界だ。
 そのことを肯定して死んでいくのもいいが、それだけではないかもしれないという想いを抱きながら死ぬのも悪くはないんじゃないか?>
 

本になりました! 書籍版が最新の内容です 応援してください!

用務員・杜用治さんのノート
カタカムナから量子論、宗教哲学、情報戦争まで、現代社会の謎と真相を楽しみながら考える、まったく新しいタイプの文章エンターテインメント 
用務員・杜用治さんのノート
オンライン決済でご購入
 Amazonで購入でも買えます

Kindle版は⇒こちら(500円)




←前へ   目次目次   次へ⇒

Home森水学園 Home
Facebook   Twitter   LINE


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス
狛犬、彫刻屋台、未発表小説、ドキュメント……他では決して手に入らない本は⇒こちらで


タヌパックのCDはこちら たくき よしみつの小説
Google
morimizu.org を検索 tanupack.com を検索