聖書の「契約」とは?
「あんたはさっき、聖書の中身はかなりグチャグチャだけど、概ね二つのことが共通して語られていると言ったね。ひとつは『神は自分の姿に似せて人間を作った』ということで、その意味は大体分かった。もうひとつというのは何だい?」
俺はNに訊いた。
俺が話に乗ってきているので、Nは機嫌よさそうにすぐ答えた。
<もうひとつはいわゆる「神と人間との契約」だね>
「どんな契約なんだ?」
<端的に言えば「
この世界は必ず終末を迎える」ということさ。
今ある「世界」は一旦滅びる。それは神が決めたことで動かしようがないことだから、人間はそれを受け入れなければならない。そして、その終末をしっかり……神の計画通り迎えるために人間は努力しなければいけない、という内容。これが
神と人間の間に交わされた「契約」なんだ。その神の計画を手伝う人間ほど神への忠誠心があるわけで、神に愛される>
「世界が終わってしまったら、神も困るんじゃないのか?」
<いや、困らない。
終わらせる「世界」というのは、人間から見た世界、人間が主役の世界のことだ。地球が爆発して消えてしまうとか、そういうことじゃない。
もっと分かりやすくいえば、
「人間が支配する世界」は終わる、という意味だ。
人間は神のために動く労働力であり道具なのだから、世界の最終的な支配者にはなれない。神が望んだ仕事をし終えたら、人間の社会は終わり。でも、それまでは、
人間に効率よく働いてもらうために、人間がこの世界を支配していると思い込ませる必要がある。
あるいは、人間は神の
僕であって、神のために行動することが最高の善であると信じ込ませる。
前者は唯物論や物質主義、後者は宗教というもので言い換えられるかな。
彼らはその両方をうまく使って、人間をコントロールしてきたんだ>
「神が人間にさせたかった仕事というのは?」
<それは今まで説明してきたことを踏まえれば、簡単に想像がつくだろう? 一言でいえば、物質文明を発展させることさ。
神がこの星に持ち込めた道具や資材は極めて限られていた。神がかつて築いたような文明社会を築くためには、金属やエネルギー資源の発掘と、それを使った工業製品の生産が必要だ。
資源は地球の地下にたっぷりある。しかし、それを取りだして、高度な工業製品を作るだけの肉体を神は持っていない。人数もまったく足りない。
代わりに働かせようと思って作ったアダムなどの初期型改造生物種は、繁殖ができないという欠陥品だった。
そこで、一旦リセットし、時間がかかってもいいから、人間という種を成長させて、
神が棲む場所にふさわしい高度な物質文明を築かせることにした。
人間に地下資源の存在やその活用法を知らせるのには長い時間がかかった。でも、一旦スイッチが入れば、そこからは一気に加速していく。
古代文明から産業革命までは数千年かかっているけれど、産業革命から現在まではあっという間だっただろう?
彼らの計画は今のところ概ねうまくいっているんだ。
で、そろそろ計画の最終段階にきている。役割が終わったら、人間には退いてもらう。神が使いやすい道具としての数と品質を残せば、あとはいらない。不良在庫として処分される>
「穫れすぎた野菜が廃棄されるようにか? 俺たちは野菜と同じか。恐ろしい話だな」
<いい喩えだね。そう、
人間も他の生物に対してはまったく同じことをしている。神が無慈悲で残虐だとか思うのは人間の勝手な思い違いだね。神は自分たちの生存をかけて真剣に行動しているのだから。
娯楽のために他の生物を殺す人間のほうがよほど残虐でとんでもない生き物だよ>
「神はやむにやまれず大量殺戮もするというのか?」
<人間だって逆の立場なら同じことをなんの躊躇もなくするだろう。その証拠に、宇宙戦争とか怪獣ものの映画とかでは、人間の生存を脅かす他の生物種を殺すことは当然であるだけでなく、正義であり、美しい愛の行為であるとさえ描かれる。
神や人間の世界では、
正義とか悪といった概念は相対的なものだ。どちらが主役か、という視点の違いによって逆転する。
そもそも「やむにやまれず」とか、そういう表現がすでに人間的というか、情緒的だよね。そうした感情は、結局のところ、自分たち人間がこの世界で最も「生きる価値」を持った存在だという思いこみから生まれている。
神はもっとずっと合理主義だ。そうすることが合理的、効率的だからする。それだけのことなんだ>
俺はそれ以上反論する気にはなれなかった。
どんどんNの言い分、世界観に巻き込まれていく。
いいようのない虚無感、無力感に包まれていくのを感じていた。
本になりました!