関東大震災の年に生まれていた
<きみが生まれた大正12(1923)年という年、この世界はどんなことになっていたか、知っているかい?>
「完全に歴史の授業だな。ああ~、詳しくは知らない、というか、あまり考えたことがなかったな。日清日露戦争は終わっていたよな。大正だから、ああ、関東大震災があったはずだな。あれは何年だったか……」
<関東大震災は1923年9月1日、まさにきみが生まれた年に起きているね。きみが生まれたのが12月3日だから、3か月前だ。でも、きみたち一家は日本にいなかったから、あの地震には巻き込まれなかった>
「そうか。俺は大震災の年に生まれたのか。知らなかったな。というか、そもそも自分の誕生日を知らなかったんだから、あたりまえか」
<あの震災で10万人以上の人が死んだ。で、忘れてはいけないのは、あのときに死んだ人は災害死だけではなかったということだね。関東の各地で虐殺が起きた>
「ああ、それは知っている。朝鮮人が井戸に毒薬を入れたとか襲ってくるとかいうデマが広まって、一部の民衆が朝鮮人を次々に襲って殺してしまったという事件だろう? 詳細は知らないが……」
<そうだね。だけど、どこかの村で局所的に起きたということではなくて、広範囲に同時多発的に起きているのが不思議だと思わないかい? あの頃はテレビはおろかラジオもまだなかった。マスメディアというと新聞くらいだったけれど、その新聞も、東京では新聞社も印刷所も地震で壊滅的な被害を受けたわけで、機能しなかった。それなのに、最大の被災地となった東京だけでなく、千葉、埼玉、群馬といった周辺部でも軍の兵士や民衆によって朝鮮人皆殺しのようなことが起きたわけだね。それも極めて残虐な形で。妊婦が腹を割かれ胎児を引き出されたとか、生きたまま火の中に放り込まれたとか、凄まじい殺し方をしている>
「そうなのか? まあ、俺は大陸にいた頃、そういうのはいろいろ経験したがね。俺が生まれた年にも、日本国内ではすでにその手の虐殺事件は起きていたわけだ」
<そういうことがなぜ起きたと思う?>
「恐怖や不満、不安、鬱憤が溜まっていて、それがデマをきっかけにして残虐な行為として爆発した、ってことか?」
<まあ、簡単にいえばそういうことだけどね。もう少しやっかいだ。残虐な殺し方をしているのは、兵士よりも一般民衆による自警団が中心だった。警察が朝鮮人を確保収容すると、その警察署に自警団が押しかけて乱入して殺したりしている。「警察や兵隊は鉄砲持っていても、普段は俺たちや子どもを脅すばかりで、肝心なときには及び腰になって人一人殺せないじゃないか。俺たちは普段、肥だめ担いで働いている身だが、昨日は16人も殺したんだぞ」なんて自慢したりもしている。つまり、罪の意識がない。それどころか、お国が危機存亡の時にしっかり役目を果たしたんだという自負さえ持っている>
「罪の意識がない……殺す相手が自分と同じ人間だとは思っていないってことか」
<自分と同じ姿形をしているのに、違う生きものだと思い込むなんてありえない……と、普通なら思うだろ。ところが、いとも簡単に殺害という行動にでる。しかも一人二人がじゃない。地域の構成員が集団で一斉に動く。
こうした集団による虐殺が起きるには、その土壌を作っておくことと、爆発させるスイッチを入れることが必要になる>
「必要になる……って、まるで誰かがあらかじめ仕組んでいたような言い方じゃないか」
<仕組んだかどうかは別にして、ここで知ってほしいのは、人間の営みを包んでいる世界──人の日常社会を急激に変化させる仕組みはどういうものか、ということだよ。
関東大震災という災害そのものは人為的に起きたものではないけれど、そこで起きた大規模集団虐殺は人が起こしたものだ。自然災害は計画的には起こせないけれど、大規模虐殺などは「準備する」ことができるんだよ>
「準備する?」
<そう。準備だ。意識的に準備したわけではないだろうが、無意識のうちに準備をしていたとはいえる。
まず、当時の日本は、第一次世界大戦でヨーロッパ諸国からの輸出が途絶え、諸外国に物資を大量に売ることができて好景気に沸いていた。
輸出増に追いつかず、日本国内での労働力が不足してきた日本は、朝鮮で農地を失った農民などを招き入れ、主に炭鉱や土建などの危険の多い職場で、日本人よりずっと安い賃金で長時間労働をさせていた。
日本の支配下にあった朝鮮では、土地調査事業が行われて、土地を奪われた農民の極貧化が進んでいた。不満を持った大衆は大規模な独立運動を起こした。大正8年、1919年3月1日に起きたので、「三・一独立運動」と呼ばれているね。各地で100万人以上の人々が1000回以上のデモを起こした。
日本政府はこうした動きに恐れを抱いていた。そういうこともあって、日本国内では朝鮮人をすぐに暴徒と化す野蛮な民族であるかのような喧伝がされていた。「
不逞鮮人」という言葉が新聞などで繰り返し使われ、朝鮮人は危険な連中、
貶むべき存在という意識が日本人の中にあたりまえのように植えつけられていったんだね。恐怖や差別意識を植えつける記事は、新聞の売上にもつながった>
「嫌な話ではあるけど、まあ、それはそうなんだろうな」
<貧民層の不平・不満は、なにも朝鮮の人たちに限ったことじゃない。日本国内でも、当然、貧しい労働者層は同じような不満を持っている。そうした社会の下層階級出身で、知識欲が強い人たちにとって、当時の社会主義は一つの理想的な社会モデルに思えた。それを警戒した政府や富裕層は、社会主義者を社会の秩序を乱す危険な連中だという宣伝にやっきになる。
関東大震災での虐殺は、主に朝鮮人が標的にされたけれど、マルクス主義に傾倒した人たちも社会主義者というレッテルを貼られ、朝鮮の人たち同様に狙われ、殺された。さらには、吃音者や聾唖者などの弱者も、日本語がまともに発音できないから朝鮮人だと決めつけられて殺されたりしている。
きつい仕事を真面目にこなしているのに豊かな暮らしができないという人たちは、自分たちよりさらに下のグループの人間を規定したいという意識が働くんだね。上にいる者にはかなわないから、自分たちより下のグループ、弱い立場、異質なグループを作って、それを攻撃することで憂さを晴らす>
「それが『準備』なのか?」
<そうだね。準備というか、下地作りだ。
下地ができたら、次は発動させるスイッチを入れること。これはタイミングが重要になる。
首都圏直下型の大きな地震が起きて、東京は一瞬にして壊滅状態になった。テレビもラジオもない時代、唯一最大のマスメディアだった新聞も発行できない。それなのになぜデマが急速に広まって、多くの民衆が各地で同時多発的に虐殺行為に走ったのか。
最初のスイッチは、警官たちが住民にデマ情報を伝えて回ったことだった。
地震が起きたのは9月1日の正午だが、その数時間後の夕方には、都内各地で巡査が「各町で不逞鮮人が殺人放火しているから気をつけろ」とふれ回ったんだ。上級庁からの指示ではなく、各警察署が日頃から朝鮮人に対してそういう目で警戒していたから、自発的にそうしたということだね。
ところが、翌日になるとこの手のデマを受けた内務省で、警保局長が道府県の地方長官に朝鮮人の警戒を命じる伝達を出した。政府もデマを真に受け、東京周辺に戒厳令を発令する。これでスイッチが二重三重に入り、デマの伝達速度が一気に上がり、「お上公認の朝鮮人狩り」みたいなことになっていった。
だから、暴走した自警団は罪の意識どころか、手柄を立てたように振る舞っていたわけさ>
「……なんかもう、完全に日本史の授業だなぁ」
<まあまあ……。まだ授業は始まったばかりだよ。
さてと、私が最初にこの話をしたのは、関東大震災時に起きた朝鮮人や社会主義者の虐殺という一つの事件を掘り下げたいわけじゃない。たまたまきみが生まれた年に起きた虐殺事件を例にとって、社会が一気に動いていくときの仕組み、機構を知ってほしかったのさ。
当時の日本では、「不逞鮮人」という言葉に違和感を抱く者はほとんどいなかった。ごく普通に生活していた庶民の多くが、朝鮮人は野蛮で恐ろしい輩で、いつ何をされるか分からないという恐怖を植えつけられていた。政府や新聞がそれを押し進めていた。これが下地作り。
下地が作られたところで、一部の人間が爆弾の点火スイッチを入れる。そこから一気に火がついて、それまでとは違うルールで社会が急激に動き出す。
近現代の人間社会はそうした仕組みで急激な変化を何度も重ねてきた>
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